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星とカワセミ好きのブログ

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2020.12.16
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葛飾区郷土と天文の博物館ですが、2020年11月7日に2階展示室「かつしかの歴史」がリニューアルオープンしました。
葛飾で出土した埴輪から、大友義統(おおともよしむね)の感状など中世の資料、江戸時代に中川を行き来した肥船の展示がありました。
大正12年の関東大震災で家を失った多くの人たちが葛飾区に移り、人口が急増した事や、昭和17年(1942年)4月18日に米軍による東京初空襲(米国の爆撃隊司令官の名前からドーリットル空襲とも呼ばれる)があり、水元(みずもと)国民学校も機銃攻撃を受けて生徒が亡くなった記録も詳しく紹介されていました。

一番興味があったのは、昭和30年代のボルト・ナット工場と民家が再現された所で、当時の生活が良く分かります。私は小さい頃住んでいた家や田舎の様子と重なる部分があり、とても懐かしく感じました。



↑ 葛飾区郷土と天文の博物館。(2020年11月14日撮影)



↑ 2020年11月7日、リニューアルオープン。



↑ 戦国大名・大友義統(おおともよしむね)の感状。
葛飾区域の名主の祖先が建てた戦功を讃えた内容が書かれている。
大友義統は豊後の大名・大友宗麟(おおともそうりん)の長男で、歴史好きの方には有名な話だが、時代に翻弄された人だと思う。
大友義統は薩摩の島津氏と戦い、豊臣秀吉の家臣になり、文禄の役で朝鮮に渡るも、小西行長の救援をしなかったという理由で改易させられる。関ケ原の戦いでは西軍に付いたため、常陸国に流刑となった。

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博物館の2階へ続く階段に掲示してある浮世絵。


↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 隅田川橋場の渡しかわら竈(かまど)。安政4年(1857)。
隅田川の渡し場で、近くの瓦などを焼く竈(かまど)から、煙が白く流れている。


↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 中川口。 安政4年(1857)。
小名木川(おなぎがわ)の中川口の風景。小名木川は徳川家康が小名木四郎兵衛に命じて作らせた運河で、隅田川と中川を結んでいる。


↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 四ツ木通用水引ふね。 安政4年(1857)。
この絵は、亀有の水路であった曳舟川を描いたと言われている。人夫がサッパコと呼ばれる船を綱で曳いて、曳舟川を上流へ引っ張っている。交通手段として船に乗る客もおれば、酒や食べ物を持ち込んで、風景や花見を楽しむ客もいたという。



↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 にい宿のわたし(初刷)。安政4年(1857)。
亀有を流れる中川の対岸が新宿(にいじゅく)で、その渡しを描いたもの。




↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 利根川ばらばら松。 安政4年(1857)。
「ばらばら松」がどこにあったか分からないのだが、利根川とあるも旧江戸川で、浦安から葛西にかけて流れた岸部を描いたといわれている。魚を捕る投網が宙を舞い、網の向こうに船と景色が描かれている素晴らしい絵。



↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 鴻の台とね川風景。安政4年(1857)。
「鴻の台(こうのだい)」は市川市の「国府台(こうのだい)」の事で、松戸市の矢切から市川市へ南に進むと、国府台に行く。
北条氏と里見氏が下総(しもうさ)を巡って争った国府台(こうのだい)合戦は、天文7年(1538)と永禄7年(1564)の2回行われた。北条早雲の長男である北条氏綱は関東を手中に収めようとし、房総半島の里見氏と戦って勝利した。
「とね川」となっているが、今の「江戸川」の事。

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↑ 葛飾で出土した土器の紹介。

↑ 6世紀後半に作られた、柴又の古墳から出土した埴輪。

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肥舟:こえぶね(葛西船)の紹介。


↑ 肥船:こえぶね(葛西船)で、実際の舟(14メートル)の1/2スケールの模型が展示されている。


↑ 人糞尿は江戸時代には下肥(しもごえ)として都市と農村間で売買されるようになった。葛西では船で肥料を運び、肥船(こえぶね)とか葛西船(かさいぶね)と呼ばれた。


↑ 肥舟は中川を運行し、肥桶を最大600杯分積むことができた。
舟の前方の小部屋は「セイジ」といい、船の漕ぎ手が寝泊まりする部屋。
下肥は船の甲板の板を開けて、肥桶を入れて運ばれた。セイジの小部屋との間は、芳香の強いカヤの木が使われていた。

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昭和30年代の生活風景。(ボルト・ナット工場と住居のジオラマ)





↑ ボルト・ナット工場。





↑ ケトバシプレス。
足でペダルを蹴とばす力でシリンダーが上下し、金属や皮革の型抜きをする機械。フットプレスともいい、少なくとも昭和初期には町工場で使われていた。









↑ 昭和30年代の住居のジオラマ。





↑ テレビ画面に「鉄人28号」の場面が映っていた。


↑ 横山光輝氏の「鉄人28号」に出てくる、少年探偵・金田正太郎。


↑ リモコンを操縦して、巨大ロボット「鉄人28号」を操縦する。


↑ 「しばらくお待ちください」。


↑ 「モンチッチ」。葛飾区にある株式会社セキグチの人形。


↑ ダッコチャン人形。


↑ ゼンマイ汽車 8の字板レール。有限会社三幸製作所。


↑ セルロイド人形「ミーコちゃん」。
現在日本で唯一のセルロイド玩具製造を行う職人、平井英一さんの作品。


↑ (手前)ボンネットバス、オールドスポーツカー、ゼンマイミニのりもの
(後ろ)動力大ロケット、ゼンマイロボット、浮金魚


↑ (手前)ゼンマイのりもの、ゼンマイ路面電車、浮ヨット、スペースガン
(後ろ)ゼンマイロボット、浮金魚、「トミカ」シリーズ、オートバイ









↑ 葛飾の昭和30年代の地面を再現。


↑ 昭和30年代には昭和歌謡を代表する歌手が登場した。
美空ひばり、島倉千代子、三船美智也、三波春夫、小林旭などのレコードは多くの人に親しまれた。



↑ 昭和30年代には、娯楽雑誌が登場し、多くの人に親しまれた。さまざまな分野の雑誌ができ、それまでの月刊誌に加え、週刊誌も刊行されるようになった。


↑ ベーゴマと筆箱。
ベーゴマはこまを弾き飛ばす遊び。セルロイドは昭和20年代に葛飾区で盛んに製造され、筆箱にも使用された。


↑ ベーゴマはこまを弾き飛ばす遊びで、こまには当時のヒーローの名前が書かれ、勝つと相手のこまがもらえた。


【こち亀 第118巻で、ベーゴマの楽しいエピソードがあるので紹介します】

↑ こちら葛飾区亀有公園前派出所 第118巻/秋本治/集英社/2000年3月8日発行。


p5 江戸っ娘・擬宝珠纏(ぎぼしまとい)の巻。


p18 両さんと纏さんが、ベーゴマで対決するシーン。


p18。


p19。


p19。 ベーゴマ大王の両さんが、纏さんに負かされてしまう。



↑ 炊飯器ができると、簡単に御飯を炊けるようになり、釜でご飯を炊く手間がなくなった。釜で炊いたご飯は木製のお鉢に移した。


↑ 洗濯機ができる前、洗濯はたらいや洗濯板を用い、手で行ったため時間がかかった。
着物や洋服のしわを伸ばすアイロンとこては、炭火で温める金製から電化製品になった。





















↑ ハエ取り紙が天井から吊るされている。ハエが一匹付いていた。





















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最終更新日  2021.01.02 10:10:33
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