カテゴリ:ゴジラ、ガメラ、ウルトラ、仮面ライダー
1971年4月から、TVで「仮面ライダー」が放送されました。
色々な本を読むと、仮面ライダーの企画から番組になるまで、紆余曲折があった事が分かり、とても面白いです。 企画も「マスクマンK」→「仮面天使 マスクエンジェル」→「クロスファイヤー 十字仮面」→「スカルマン」→「仮面ライダー」と変わりました。 下記本を読むと、経緯が書いてありますので、一部を紹介します。 「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」 「ウルトラマン対仮面ライダー/池田憲章・高橋信之/文春文庫PLUS/文藝春秋」 「蘇る!石ノ森ヒーローファイル/Gakken」 ーーーーーーーーーーー 「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」 (P122~123) 『仮面ライダー』はタイトルや内容が決定するまで二転三転している。最初に書いた企画の第1稿は「マスクマンK」で、さらに脚本家の伊上勝さんや市川森一さんが参加して「仮面天使 マスクエンジェル」に変わった。原作者で漫画家の石森(後:石ノ森)章太郎先生は講談社のパーティーで紹介されたのが最初の出逢いで、『サイボーグ009』『佐武と市捕物控』など作品のアニメ化はあったが、実写ドラマの原作は初めてだった。 石森先生の出したアイデアはフルフェイスヘルメットに赤い十字の「クロスファイヤー」で、それをベースに書き上げた「十字仮面」は毎日放送に出したら好評だった。ところが、テレビ局の承認をもらって具体的は制作に乗り出そうとした矢先に、原作者の石森先生から連絡があり、「クロスファイヤー」は格好良すぎるから主人公を変更したいという。けっきょくいくつかの企画を考えた後、石森先生はヒーローのモチーフを昆虫のバッタに変え、「仮面ライダー ホッパーキング」として毎日放送に再提出。向こうは十字仮面に未練があったようだが、原作者の意向を尊重して漫画版の雑誌掲載を条件にホッパーキングを呑んでくれた。タイトルは短くして『仮面ライダー』とすることに決定した。 ↓「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」 ↓ 仮面ライダーの部分。 ーーーーーーーーーーーーーーー 「ウルトラマン対仮面ライダー/池田憲章・高橋信之/文春文庫PLUS/文藝春秋」 (P26~32) 渡辺亮徳専務(東映)は、「もうスポーツ根性物のブームも凋落の傾向にある。今から企画を立てるなら、新しいジャンルのヒーローものを開拓しよう」と考えていた。 ~ 渡辺氏の命を受け、平山亨プロデューサーは、企画プレーンとして脚本家の伊上勝、上原正三、市川森一の3氏を集め、新しいヒーロー像の創造にチャレンジすることになった。 ~ 原作の相談にものってくれる漫画家は、『サイボーグ009』で東映とのつきあいもあり、『幻魔大戦』「佐武と市捕物控』と実力派に成長していた石ノ森章太郎氏(当時は石森章太郎)を使おうということになった。 1970年、まず作られた企画書が『マスクマンK』であった。 主人公・九条剛が父から世界中の格闘技と人類愛を教えられ、日本への経済侵略をたくらむ謎の組織ショッカーと戦うというストーリーで、主人公は体育教師で仮面をつけ、身についた格闘技でショッカーと戦うというスポーツ根性物のムードを持つ作品であった。 さらなる飛躍が求められ、次に提出されたのが『仮面天使 マスクエンジェル』という企画書である。主人公は本郷猛と改められ、警察に追われる逃亡者という設定が斬新であった。(このムードは『仮面ライダー』第1~2話に引きつがれた) 作品の方向性がかなり見えはじめ、第三の企画書として作られたのが『クロスファイヤー』(決定稿は『十字仮面』)であった。 ~ この企画は毎日放送側の企画書『十字仮面』、伊上勝氏の手になる検討用シナリオ『クロスファイヤー(仮題)第一話 怪奇蜘蛛男」まで作られた。 石ノ森氏のクロスファイヤーのデザイン画も、「かっこいい」と毎日放送側には好評で、このまま企画がGOされるかと思われた。 ところが石ノ森氏から「自分のデザインが気に入らないので、作り直したい」との連絡があり、渡辺亮徳専務は現場に、「本人がのってきた証拠だ。まだまだ新しいものが出て来るぞ。クロスファイヤーにこだわらずやってみろ」と指示を出した。 石ノ森章太郎氏が新たに出したデザインが『スカルマン』であった。「週刊少年マガジン」に読み切り100ページで書いたことのあるヒーローで、骸骨のような白いヘルメットの頭部、黒い服に白井ストライプが骨を思わせる形で走るスーツデザイン、今までにない強烈なキャラクターであった。 平山亨プロデューサーは毎日放送にも『スカルマン』を持ち込むが、営業部が「主人公がガイコツなんてエンギでもない。そんはキャラクターでは、番組にスポンサーがついてくれない」と難色を示し、「黄金バットのようにガイコツでもヒットした作品がある」という平山プロデューサーの意見にも消極的で、この企画書はNGとなってしまった。 『スカルマン』が気に入っていた石ノ森章太郎氏は、当然新しいキャラクターを作るのにも熱が入らない。平山亨プロデューサー、加藤昇石森プロマネージャー(当時)は、参考になりそうな動物、昆虫、科学図鑑を20冊並べて、何かヒントになる写真はないかとページをめくりつづけていた。そのとき、バッタの顔を正面から撮った大きな写真が載っているページに目が止まった。見ようによっては、ガイコツに見える写真であった。 それを石ノ森氏に見せると、「バッタもこう見ると迫力があるな」とおもしろがり、何枚かのスケッチを仕上げていった。手元にバッタも含めていろいろなタイプの80枚ほどのデザイン画がアップしていった。 その中から5枚を選び、壁にピンで止め、石ノ森氏は当時小学生の息子の丈くんを呼んできて、「どれが一番かっこいいか」と選ばせてみると、バッタのキャラクター・マスクを選んだ。 まさに”仮面ライダー誕生”の瞬間だった。 ↓「ウルトラマン対仮面ライダー/池田憲章・高橋信之/文春文庫PLUS/文藝春秋」 ↓ P28 『クロスファイヤー』のデザイン画。 ↓P29 『スカルマン』デザイン画。 ↓ P31 バッタのデザインを採用した『仮面ライダー』デザイン画。 ーーーーーーーーーーーーーー ↓ 「蘇る!石ノ森ヒーローファイル/Gakken」 ↓P23 クロスファイヤー。 周囲の高評価に対して、石ノ森は時図からこのデザインにNGを出す。 ↓P23 仮面ライダーの前段企画であるガイコツモチーフのスカルマン。 その意匠は「仮面ライダーW」の仮面ライダースカルへと受け継がれた。 P19 決定稿直前のデザイン画。すでに「仮面ライダー」としての意匠は出来上がっている。 P19 EPレコードに掲載されたイラストから。くも男にサイクロンで突進する豪快な構図が魅力。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.01 17:18:11
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