優しかった恵子を失ってしまったのは、単純にお金のせいだと考えた。僕が十分なお金さえ稼げれば、恵子との愛も永遠に続いたと思った。恵子との愛は終止符を打ったが、僕は大金を得るため、今まで一緒に仕事をしてきた名コンビの相棒の杉本と組んで、サクラのバイトではなく、自らサクラの元締めをやる事に決めた。
杉本はサクラに興味があるパチンコ店の店長に知り合いがいて、まずはその人に話を通してくれるとの事。やがては大阪府下のパチンコ店に営業をかけて、サクラの人材派遣業をして大儲けしようと決めた。
杉本は営業担当、僕はコンピューターと人材管理担当。二人三脚で億万長者への階段を昇って行く予定だった。
彼女の恵子を失って寂しかった僕は、それからもスナックP店に一人で顔を出していたが、僕のお目当ての望は原田が中年常連客に優先して付けるため、飲みに行っても楽しくない事が多く、やがて、僕はキャバクラL店に歩を進めることになる。
4月の終わりでゴールデンウイークの始まる頃、あまりにも部屋にいることが退屈すぎるので、かつて恵子が勤めていたキャバクラL店に遊びに行ったら、安めぐみ似で十八歳のひな子が僕の横に付いた。ひな子は初対面となる僕を「もっとこっちにおいでよ」と引き寄せ、やわらかい胸を僕の腕に密着させるように座るので、とてもドキドキした。ひな子と話している内に仲良くなり、その後、いつもひな子を指名して、話し相手をしてもらっていた。
しかし、所詮はお金だけの繋がりなので、ひな子の僕に対する接客や対応はすぐに演技だと解り、L店を出た後にお金でしか女性に相手にされない自分が情けなくなって号泣した事もあった。
だが、演技だと解っていても、部屋で一人ぼっちになるのは辛い。失恋直後の一人ぼっちはさらに辛くて、持っていたクレジットカードを使って夜の街に偽の愛を求めて、僕は彷徨ってしまった。
また、僕が恵子名義の銀行口座に預けていた百万円もの大金も、ミニピンに二十万円を使って八十万円になっていたが、そのお金を「返せ!」と言っても恵子は慰謝料やデートの負担金やなんだかんだとケチを付けて返してくれず、全額奪われそうになった。僕は一円も返って来ないよりはマシということで、たったの二十万円ポッチを返してもらうことで妥協した。
頻繁にキャバクラに通ったので、かなりの金額の請求がクレジットカードの会社から来たが支払いが間に合わず、母に事情を説明して五十万円を肩代わりしてもらった。
杉本がパチンコ店長を紹介してくれて、サクラをやってくれる人材も二名探して来てくれて、晴れて僕はサクラの元締めをすることになった。様々な準備に一ヶ月もかかったので、金を稼げるようになったのは、サクラを辞めてから一ヵ月以上も後の5月の事だった。
僕がサクラをすれば日当一万三千円。サクラを一人管理すればプラス七千円。サクラをしながら管理もすれば、日当は二万円と高額だった。
しかし、困ったことに、店長の気が変わったという訳の解らない理由で、僅か二週間後に契約を解除されてしまった。
「また、次のパチンコ屋を探しましょう」と言っていた杉本も、サクラの仕事を探して来ることはなく、付き合いが徐々に無くなって風化的に終縁。僕は完全に一人ぼっちになってしまっていた。
サクラの元締めの仕事をやる前に、阿倍野のアポロビルにあった占いの館という店にフラリと立ち寄った時、初めて会う喜多というおばちゃんの占い師に仕事運を占ってもらった。僕がサクラの元締めの仕事をやろうと考えている事を隠していたのに、喜多先生は「何か悪い事をしようとしていますよね?」と見事に言い当て、普通の占い師ではないなと驚いた。
サクラの事を話すと嫌がられるかと思ったが、正直に話すと、意外にも喜多先生は、サクラをやるような悪人であるハズの僕を特に軽蔑することもなく、逆に「大器晩成の面白い運命を持っているので、電話番号を教えて欲しい」と言い、個人間的な付き合いになった。
そして、サクラの元締めの仕事運を占ってもらうと、喜多先生は「最初は儲かるけど、すぐに危険な目に遭う」と予言したのだが、これが見事に的中という結果になった。さらに、「今後三年間は何をやっても駄目な年回りなので、駄目な年にお金儲けを頑張っても無理だ」とも指摘された。
また、喜多先生は、「六月に過去に所属していたサクラのグループに戻る」とも予言していた。この時点では当たらないだろうと思っていた。