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八の字の巣穴

八の字の巣穴

其の六の四「再会」






 マルコキアス。
 ソロモン七十二柱の一柱にして屈指の戦士、鷲の翼と蛇の尾を持つ狼であり、炎の氷柱を降らせる。
 決して詳しいわけではない凱ですらそのくらいのことならば知っている、高名な魔神だ。
 様々な疑問が頭の中を駆け巡る。
 出てきたことは不思議ではない。多大な時と金、知識が必要になるとはいえ、極めて有能な魔術師であれば呼び出せる。この舞踏会にはある意味相応しい力ですらある。
 だが一体誰に使役されているというのか。あの黒犬の主だろうか。しかし<獣>使いは例外なく、他に何の異能も持たず術法も使えないはずだ。それこそが<獣>を得る条件なのではないかという説さえあるのだ。如意宝珠を得たにせよ、魔術の基礎も出来ていなければ知識もない者にソロモン七十二柱など使役出来るとは思えない。
 違うのであれば、他の競合者だということになる。その場合、その誰かは<獣>使いと共同戦線を張っているということであり、敵が二人となると戦い方を変える必要が出てくる。
 そもそも自分が全力でマルコキアスと戦ったとして、勝てるのだろうか。未だ見極め切れていない現在の自分の力は、果たしてソロモン七十二柱に対抗しうるほどなのだろうか。
 龍脈式封環籠を解く。龍脈の力で維持出来るとはいえやはり凱自身への負荷も大きい術だ。少なくとも、それを背負ったままでマルコキアスに敵うとは思わなかった。巨犬を解放してしまうことによって連携をとられることもまた危険ではあるが、まだましだろうと判断する。
 凍てつく夜天が再び赤炎に染まった。マルコキアスの炎の氷柱だ。その数は先ほどよりも遥かに多い。雨のように降り注ぐ、というよりも津波のように圧し掛かってくる。
「なんだって最近こうも火にばっか縁があるんだよ俺は!」
 地に手を突き、自棄混じりに悪態をつく。飛び出した十二の龍形がその身を盾としているうちに、地面を動かしながらさらに駆け、マルコキアスから一層の距離をとることを試みた。
 標的の姿を捉えながら風を切り、防ぎきれずにすり抜けてきた炎をかわし、しかしマルコキアスも留まることなく一定の間合いを保ちながら空を縦横に駆け巡る。
 加えて、巨犬も横から黒い疾風と化して襲い来るのだ。
 肌がひりつく。すり抜けてくるものばかりではなく、そもそも龍形そのものが炎を防ぎきれていない。貫通してくるものがあるのだ。
 炎の氷柱、とはよく言ったものだ。巨犬の吐くものとは異なり極めて霊的な性質の強い炎は、高密度に凝縮されて槍の役目も兼ね備えていた。
「……そうそう逃しちゃくれないか」
 舌打ちする。凱も決して接近戦を苦手とするわけではないが、やはり距離を置いての方が得意だ。無論、現状でも遠距離戦闘であることには違いない。しかしあともう少しだけ離れることができればと思う。
 さらに六つ、龍形が顔を覗かせる。今度は牽制のためのものだ。
 うち四つはマルコキアスへ、二つは巨犬へと向かわせる。
 馬鹿正直に一対二の戦いを続けるつもりはない。競合者はあと七人はいるのだ、そのうちの誰かを巻き込めば事実上の二対二に持って行くことも不可能ではない。
 ことによると三対一になる可能性もあるが、そうなったならばもう覚悟を決める以外にあるまい。
 とはいえ、と心中で呻く。そもそも上手く巻き込めるだろうか。他の競合者の居所はある程度感知することは出来るが、近づいたところでむざむざ巻き込まれてくれるだろうか。
 そこで先ほどの女性を思い出し、すぐに否定する。彼女ならば居所も確実に判っているし、巻き込めるだろうが、あの戦いとは縁のなさそうな様子を思えば申し訳なさは抑えきれず、それとはまた別に単純に役に立たなそうでもある。
 すり抜けてくる炎、貫いてくる炎を右左とかわし、地を動かしながらさらにその上を走り、凱は逃げる。
 幸い、巨犬の方は牽制のおかげか徐々に引き離すことが出来つつある。そのまま諦めてくれれば一層楽になるのだが、巨犬を攻撃している龍形の反応からはそこまで都合よく運んではいないようだ。
 ひっきりない振動。移動する先から次々と建物が倒壊する。燃え上がるものはおろか、溶けるものすらある。
 気温は摂氏70度や80度といった生易しい領域にはあるまい。本来であれば気道熱傷は避けられないところだったろう。この環境で無事にこうして生きて走るという些細なことさえも如意宝珠のおかげなのだ。
 もう戻れない。解っていることを今一度確認する。
 凱は駆ける。
 行き先はまだ判らない。
 だが、止まれない。















 炎が近い。
 亜樹も、そう遠くない場所で新たに起こった大火災には気付いていた。
 無論のこと注意は払い続けており、だから範囲が見る見るうちに広がってゆくのにも気付いていた。
 とは言えど、炎は確実に近づきつつあるものの、それはあくまでも全方位に広がるうちのこちら側が近づいているに過ぎない。急速に燃え上がってゆくのはむしろ中心部へと向けてである。
 反射的に逃げたくなるのを堪えながら、考える。
 動くべきか、動かざるべきか。
 動けば見つかってしまうかもしれない。動かなければ炎にまかれる。
 今の自分ならば火であるとか低酸素であるとかは問題にならないのかもしれないが、試したいとは思わない。
 それに、と更に心の中で付け加える。この立体駐車場自体が無事に済む気がしない。
 ならば動くべきだということになるのだろう。
 しかし今度は、次に行くべき場所が問題になる。
 炎のない所へ移動すれば、それはきっと他の誰かのいる場所だ。燃え上がっている所へ行く者など誰もいない。亜樹はそう考える。
 思案したままゆっくりと踏み出す。端に立つと、此処まで風が辿り着いていた。熱く感じるのは、焦げた臭いがするのは、本物なのだろうか、それとも思い込みなのだろうか。
 瞳に映った炎が揺らめく。
 容赦なくすべてを呑み込んでゆくその様は、ただただ恐ろしかった。
 自身を落ち着かせようと大きく息を吐いた、その時だった。
「いけないわ、亜樹。無防備にもほどがありましてよ?」
「っ!?」
 知った声ではあったが、亜樹は反射的に、出来うる限り素早く振り返っていた。
 振り返って、やはり知り合いだったことに改めて安堵する。
「サーラ……もう、びっくりさせないで」
 笑いかけるが、サーラは蒼玉の色の瞳を憂えげに細めただけだった。
 そのまま亜樹の隣までゆっくりと歩み寄り、熱い風に綺麗な銀髪をなびかせる。
「どうして戻って来ましたの? もう逃げられませんわよ? 楽に死ねるとは思わないことですわ」
 静かではあっても、脅しに近い響き。
 ほんの一週間前であれば怯えていたであろう亜樹は、しかし今ふわりと笑った。
「いろいろ、あったの」
「そう……」
 サーラの表情は変わらない。憂えげなまま、凍りついている。
「その覚悟が、待ち受ける結果に釣り合うとは限りませんわよ?」
「サーラは参加者、なの?」
 質問ではぐらかしたのは胸の奥に燻ぶる未来への恐れのため、サーラも、と言わなかったのはあくまでもこの舞踏会に乗るつもりはないという意思の表れ。
 サーラがようやくこちらを向いた。そして浮かべたうっすらとした笑みは、怖いほどに硬質で人から外れて綺麗だった。
「暇潰しですわ。ええ、参加者ですけれど、暇潰しなの。貴女とは何もかもが違うのよ、亜樹」
「それなら教えて。これは……何なの?」
「……亜樹」
「脅かそうとしても駄目なのよ、サーラ?」
 亜樹は微笑む。
「教えて? この舞踏会というのは何なの? 誰もまともに教えてくれないし、さっき会った人は訊く前にどこかに行っちゃって……」
 わたし、どうしてもうっかりは直らないのね、と眉尻を下げる。
「…………なんだか貴女と話してると調子が狂いますわね」
 サーラはついに苦笑を漏らした。
「あまり話すとグノスサイラスが介入してきそうですけれど……いいですわ、知っても問題ないくらいのことなら教えて差し上げます。爺、お茶の用意を」
「かしこまりました」
 今までどこにいたというのだろうか、すぐ傍で家令の老人が恭しく頭を垂れていた。





 欠片の汚れも見当たらない、小さく白いテーブル。向かい合う、これもまた白い椅子。
 立体駐車場には不釣り合いなこれらは、振り返れば此処にあった。
 老人が洗練された動作で紅茶を淹れてくれるのを、椅子に腰かけた亜樹は戸惑いながら待っていた。
 右手には、偽りのとはいえ燃える街。吹き付けるのは熱い風。
 それを、まるで春風に葉を鳴らす木々であるかのように涼しい顔でサーラは流していた。
「さて、何から話したものかしら。亜樹、貴女、まったく何も知りませんわよね?」
「……だと思う」
「そうね……まず、こういった類のものは決して珍しいものではないと覚えておいてくださいな」
 何から話したものかと迷いを口にした割には淀みなく、サーラは告げた。
「世界中で考えれば、毎年どこかで誰かが主催していますわ」
「こんなのが毎年?」
 亜樹が驚いたのは、如意宝珠は二百年に一つくらいしか手に入らないとグノスサイラスが口にしていたのを覚えていたからだ。
 しかしサーラは、そういうことではないのだとかぶりを振った。
「こんな、人間の領域を遥かに逸脱したものは、それこそ何百年に一度ですわよ。毎年あるのは、あくまでも何らかの賞品のために競い合う、そんな遊戯なの」
「ゲーム……?」
「暇ですのよ。永く生きるものは、大抵時間を持て余していますの」
 微笑。それは確かに少女の微笑みであるのに、妙に艶めかしい。
「あるいは欲しいものがあるのですわ。それは壊す力であったり知識であったり、ともあれその場合は賞品を求めて参加するということになりますわね。あとは暴れたいだけということも。自分で後始末をする必要のないことが多いですから」
「サーラは……何か欲しいものがあるの?」
「あたくしは先ほども言った通り、暇潰しですわ。全力を出しても構わない状況で暇を潰したいだけ」
 そこで、サーラはくすりと笑った。
「意外と落ち着いていますわね。やはりおじさまの所為かしら」
「そう……なのかな……」
 亜樹は髪飾りに触れる。
 確かに、自分は落ち着いているのだと思える。先ほど見知らぬ男性が来たときは勢い余ってしまったが、サーラが相手ならばゆっくりと意味を咀嚼できるだけの余裕もある。一月前の自分では、こうはいかなかっただろう。
 慣れたということもあるのだろうが、あの黒衣の姿を思い出すと、やはりあのひとに会ったからなのかもしれないと素直に頷けた。
 そして改めて質問する。
「ねえ、サーラ……今回の賞品は何なの……?」
「具体的に何であるのかは知りませんわ。ただ、<十八>にとってさえも扱い切れない代物、と謳ってはいましたわね」
「『ドゥオデーウィーギンティ』?」
 知らない単語が出て来て、亜樹は小首を傾げた。
「ラテン語で十八のことですわ。グノスサイラスが自分の趣味で抽出した……まあ、四天王のようなものですわね、十八いますけど。その一つ目がグノスサイラス自身であるあたり、自己顕示欲が丸出しですわよ」
 優雅に紅茶を口に含み、サーラは長い睫毛を伏せる。ただ月下で目にしたならば、その姿は月の精霊のように映ったことだろうが、此処を染める光は赤い。
「次に亜樹が訊きたいのは、おそらくグノスサイラスのことですわね?」
「え、うん……」
 言い当てられたことには驚かない。流れがそうなっていることは亜樹自身にも分かっている。
 しかし、サーラはここでかぶりを振った。
「でも申し訳ないのだけれど、それを教えてはいけないことになっていますの。この舞踏会の参加条件に、主催者について知っていたとしてもその正体を教えてはならないという項目がありまして」
「……駄目なの?」
「一体何のつもりかとは思っていましたけれど、グノスサイラスであると知ったときは納得した、とは教えておきますわ。どうせ自分自身で盛大にばらしたいのですわよ」
「……そっか」
 亜樹は会話を交わした時のグノスサイラスの様子を思い返した。目の前に居たときのあの異様な圧迫感がないおかげで改めてゆっくりと考えることが出来る。確かに、教える機会を図りたがっていた覚えがあった。
 まるで幼い子供のようだった。大人よりも遥かに狡猾で、それでいてどうしようもなく愉快を求める子供のように感じられた。
「本当はね、すべて教えてあげて、助けてあげてもいいのだけど、それは結果的にこの舞踏会の制約を破ることになってしまいますの。遊戯は制約あってこそ。気に入らないことがあれば力で遊戯を壊す、というのは美しくありませんわ。だからあたくしはあまり亜樹に力は貸せませんのよ」
 ごめんなさいね、とサーラは微笑む。
「いいの、ありがとう」
 目を伏せ、亜樹も小さく笑った。
 本音を言えば、助けて欲しい気持ちはある。どれほど覚悟を決めたつもりでも、怖いことに変わりはないのだ。
 しかし、美しくない、と言ったサーラの思いを推し量れば頷くしかなかった。それがきっとサーラの大事なことなのだ。
「サーラが警告してくれてたのに今わたしが此処に居るのは、わたしの意思だもの」
 亜樹もカップを手にした。少しだけ口をつけ、思わずといった風に声を漏らす。
「……おいしい……」
「当然ですわ」
 言葉どおりの表情で、サーラは背後の老人を褒めることすらしなかった。
 替わりにしげしげと、蒼い瞳で亜樹を見つめて来る。
「それにしても亜樹……貴女、動きも綺麗ね。どこか抜けているけれど」
「……褒めてくれてるんだよね?」
「無論、褒めているのですわよ? ああ、話がずれましたわね。ともかく、教えて構わないことはまだまだありますから、色々訊いてくださいな」
 そして妙に嬉しそうに続けた。
「そうね、時間が余ったら亜樹のことも色々と聞かせて欲しいわ」






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