第四十九話「人外魔境」血風が舞う。血煙が巻き起こる。 熱が焼く。 光が灼く。 死んでゆく。 人が死んでゆく。 人ではないものが死んでゆく。 識らぬ生命が消えてゆく。 見えざる意思が砕けてゆく。 飢餓がある。 枯渇がある。 老化がある。 風化がある。 破壊がある。 自滅もある。 滅んでゆく。 世界が滅んでゆく。 終わってゆく。 一切が終わってゆく。 足掻き、もがくも意味はない。 那由多の意思の集合とて儚きものでしかない。 そのすべての手応えがある。 最後の最後、時よりも解き放たれた真の果て。 如何とも表現しがたい、しかし確かに己に響いてくるものがある。 その無きものこそが。 己の領域なのだ。 宗一郎はゆっくりと身を起こす。 周囲は暗い。 陽の欠片たりとも、まだ地上には投げかけられていない。 時刻は四時になっているかどうか。 同室の雄介と晃人は眠っている。 「……懐かしいもんを思い出した」 呟きの上に囁き。 それに返って来るものがある。 言葉にはならぬ漠然とした感覚。 宗一郎は頷いて部屋を出た。 その隣に、ふわりと緋雪の姿が現れる。ずっと傍にはいたのだ。 そして今度は身をもって宗一郎を外へと連れ出す。 外はまだ、闇だった。 「宗一郎……」 緋雪が振り返る。 闇の中で、その白皙の美貌が際立つ。 宗一郎は無言でかぶりを振った。 何かに手はかかっている。 しかし解してはいない。 そしてそれとは別に気になることがある。 それもまた言葉にはしえぬものだが、予感に心身が充足してゆく。 大きく息を吸った。 夏とはいえ早朝、冷たい空気が胸を満たす。 眠気はあるが、悪くない。 不規則な活動と休息を繰り返すことに慣れた身には充分だ。 「折角やから、この辺歩いてくるか、久々に?」 呼ばれていた頃は海だけではなくあちこちを回ったものだ。 特に名所があるわけでもないが、例えば小さな川の一つにも意味がある。 古来より流れるべくして流れているのかもしれないし、あるいは人が捻じ曲げたのかもしれない。 そんなことを思いつつ歩いたこともあれば、何も考えずに歩いたこともある。 懐かしい気分になる。 「そうですね。三時間くらいで帰ってくれば朝食に間に合うでしょう」 緋雪はいつもの無表情にも見える澄まし顔で頷いた。 「……うううううう……」 朝食の席、蓮花の顔色は非常に悪かった。 食欲がないのか、箸もほとんど進んでいない。 二日酔いである。 「……まあ、ビール以外にも自動販売機で売っている酒はあるということだ」 「迂闊だったよ……」 朱鷺子がかけた言葉に蓮花は弱々しく苦笑する。 「残念だけど、今日は休んでおくことにする……」 「それがよかろうな」 そんな会話を右から左へと流しながら、宗一郎は納豆をかき混ぜていた。 箸が重いほどに糸を引くようになってから生卵をかける。 特に好きでも嫌いでもないが、たまに食べると美味く感じる。 と、雄介が声をかけてきた。 「朝はどこに行ってたの、兄さん?」 「ん? ああ……緋雪と散歩やな、概ねのところを言うてみれば」 宗一郎はそう答える。 嘘はついていないし、隠そうと思ったわけでもない。 言葉に出来るものを説明できるはずもなく、説明できることだけを説明しただけだ。 気付いていたのか、などとは言わない。宗一郎が旅館に帰って来たのはつい先ほどなのだ、気付いていない方がどうかしている。 「僕もちょっと走ってきたけど……緑の多いところだよね」 雄介は屈託なく笑う。 ほとんど誰に対してもそうだ。 しかしそれは無邪気に誰もを信じているというわけではない。 現に、宗一郎は己の何もかもが雄介の意に沿っているわけではないことを知っている。 直接言われたのはひとつだけだが、おそらくはもっとあるだろう。 それでも優しく柔らかな態度。 過ぎた弟とすら言える。 「ああ……近くの山の山頂から見たら、結構な景色やぞ、この辺」 「へえ……そうなんだ」 雄介は頷き、そして対面に目をやって少しだけ苦笑する。 「でも、今日はそっちに行く……なんてわけにはいかなそうだね」 そこでは、翔子と遥が頭を突き合わせて今日の海の予定を立てていた。 二日目の今日も、人の出は昨日と同じくらいだった。 さて、何をしたものか、と思う。 クーラーボックスに西瓜が入っているところをみると、そのうち西瓜割りはしそうだが。 とりあえずシートを敷いて荷物を置き、パラソルを立てる。 一年生四人はなにやら計画しているようだ。 蓮花は旅館で寝ており、朱鷺子は隣で腕組みをして何やら考えている。 本当に何をしたものやら、と宗一郎も眉根を寄せたときだった。 「宗一郎」 不意に緋雪が言った。 「今日はわたしも水着を着てみましょう」 「は?」 あまりにも唐突な台詞に目を丸くする暇もあらばこそ、緋雪の姿が掻き消える。 しかしそれは刹那で、衆目を集めることはない。 消えたことそのものは気のせいで済まされてしまうだろう。 認識できた人間がいるかどうか。 ただし、前後を両方見ていれば目を疑いはするだろう。 「こんなところですか」 再び姿を現した緋雪が身につけていたのは、真紅のセパレートだった。 宗一郎ならずとも絶句せざるを得ないだろう。 人間からしてみれば羨まずにはいられないほどほっそりとした肢体は、しかし要所においてはむしろ豊かにしっかりと実っていた。 ホルターネックになったトップスの作るラインの外側は半ば上腕を隠してしまうほど、菱形に開いている胸元は眩しいほどに白いふくらみが、窮屈そうに寄り合っている。 やや布地を節約した感のあるボトムスに包まれた双臀は、張りはあっても重そうな印象はまったくない。ふっくらとしてやわらかそうで、それでいて高い位置で引き締まって、すらりとした背中や脚とは絶妙なラインで繋がっている。 その脚はこれでもかというほどに美しく、長い。しっかりとしたしなやかさと同時にやわらかさをも兼ね備えた極上の脚だ そして全体の体躯に合わせてウェストはあくまでも折れそうに細く、だからこそ豊かな部分が一層強調されるのだ。 「どうですか、宗一郎……?」 緋雪はややゆっくりとその場で回ってみせる。 ぬばたまの黒髪がふわりと広がり、腰に絡みついた。 再びこちらに向き直れば、砂を踏んだその動きで重々しく胸のふくらみが揺れる。 それでなお第一に思うのは神秘性と美しさ。 だが、やはり艶やかさも秘しきれない。 薄い布地に包まれた双臀が描くラインも蠱惑的ですらある。 「……凄まじいな」 もう、そうとしか言いようがなかった。 まさに、豊かさと美しさの両立の極限を体現している。 しかし緋雪の方はいつもの無表情にも見える澄まし顔で、何事もなかったかのように応えた。 「人間ではありませんから。第一階位と呼ばれているものならば、傾向の違いこそありますが、須らくこのようなものです」 実のところ、<武具>が人の姿をとるときは<力>を実体化させているのだが、自由な姿を選べるわけではない。一切の偽りないただひとつの姿となり、変更どころか修正すら利かないのだ。 ちなみに、階位が高いほど容姿容貌ともに美しくなる傾向にあり、人には成しえない領域を達成していることもある。 当然ながら、日に焼けることなどあろうはずもないし、物理的におかしいものなどいくらあっても驚くに値しない。 ここまでは宗一郎も知っていたが、服装は自由に変えることができるとは初めて知った。 今まで、緋雪の服装は巫女装束しか見たことがなかったのである。 「現に、あそこにも」 緋雪の言葉に、皆がその視線の先を追い、そして言葉を失った。 漆黒のビキニ。 「ふふふふふ……」 笑いつつ歩み来る姿は、あちこちがきつそうだった。 しっかりと高く引き締まった、それでいて張りのあるヒップは、包みきれずに半ば見えている。 前の三角は小さく浅く、引き締まった下腹を示すラインをなぞるような角度で紐が伸びている。その紐は両脇で結び目を作った後に後ろへ回り、前よりは大きい三角に繋がる。 前よりは大きいとは言っても、蠱惑的な丸みの二つの山とその間の谷は上半分が覗いているし、下の方は鋭角に谷に吸い込まれている。 そこから伸びる脚は蠱惑の曲線を描いて、ゆっくりと前へと歩む。 だが、やはり何よりも眼を引くのは上半身だった。 二つの三角形が繋がれたシンプルなデザインなのだが、豊かにして張りのある乳房を覆うには到底面積が足りない。 覆っているのは頂点とそこから側面くらいで、明らかに無理をしてカップに詰め込んだのか、さほど厚くない布地はいっぱいに張り詰め、布から開放されている部分はたわんでむっちりと膨れ上がり、たっぷりした下乳の丸みも鮮やかにビキニの下からはみ出している。 そんな状態の中でもさらにしっかりと、深い谷間が形作られている。 紐は細く、溢れ出した柔肉に食い込み、半ば埋まっていた。 歩む一歩ごとに、その重さを充分に予感させながら、押し込められていてさえ乳房が揺れる。 周囲の人間は、ことごとく絶句していた。 人間には成しようのない、まるっきり反則な肢体だ。 だが、言葉はなくとも視線は吸い寄せられるように胸元に留められる。 眩しいほどに白い、重々しい双丘は互いに押し合い、今にもカップからはみ出しそうという領域を超えて、内側からブラを弾いてしまいそうなほどだった。 それでいて腰は無駄なものなど何もなくすっきりと括れ、溢れ出る色香を駄目押ししている。 「ふふふ……」 しかし、己に向けられる羨望と嫉妬、あるいは劣情交じりの視線を、それと知りながらも歯牙にもかけない。 関わろうとするものあらば、災厄をもたらすだけだ。 そもそも、どのような姿になるかは偽りなきものとはいえ、人の姿そのものは<武具>の真の姿ではないからということもあるのだが。 「お久しぶり。昼間から女の子に囲まれて嬉しそうねぇ?」 宗一郎の前で立ち止まり、頤に人差し指を当てて艶然と微笑む。 男はおろか女すらことごとく蕩かしてしまいそうな笑み。 それでも、宗一郎は絶大な警戒をもってそれを逸らした。 あの強大な<力>こそほとんど感じさせないが、彼女はまさしく。 「……セテシィ=メルロゴール……」 呻きは、軋むようなものになった。 |