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八の字の巣穴

八の字の巣穴

幕間「災厄」

 月が綺麗だった。
 月を美しいと思うのは人間ばかりではない。
 胸躍る。
 とても素敵な気分だ。
 その素敵な気分を抱いて動き始める。
 憐れなるもののために。







「もう、何でほんとに退いちゃったのよ?」
 リザは不満たらたらだった。
 途中で障害が現れることには燃える性質だが、本当に無理矢理止められることになってしまうのは嫌いなのである。
 特に、今回は夜空に輝く十字が現れるなどという未曾有の事態もあったのに、それに限って関わることが出来なかったときたのでは不機嫌にもなろうというものだ。
「約束だったからな」
 リュクセンティフィーナ=セラフィの表情は硬い。
 リザは小さく肩をすくめた。
「あんたはほんとに変なとこで律儀よね。でも、あたしはこの屈辱は晴らすわよ。やられたまま終わるのは性に合わないもんね」
「確かにもう仕掛けないという約束まではしてないが……」
 珍しい、浮かぬ顔。
 リザにとっても滅多に見るものではない。
「どうしたの?」
 問いかけると、迷うように沈黙してから、やがて告げた。
「……<災厄の大鎌>が近付いてきてる。今朝からこのあたりをうろうろしてたんだが……」
「へ? もしかして<災厄の大鎌>セテシィ=メルロゴール? 面白そうじゃない」
 リザは気楽に言うが、リュクセンティフィーナ=セラフィは渋面を深くする。
「正直、関わり合いになるのは勘弁願いたいな。あいつは元々イカレ気味なんだが、この泡沫に来た欠片は輪をかけてる」
「泡沫?」
「……来るか」
 リザへと答える暇はなかった。
 月を背景にして、漆黒のドレスを纏った女が現れる。
「ふふ、うふふふふふふふふ……お久しぶり、<星辰の弓>リュクセンティフィーナ=セラフィ」
 銀の瞳が機嫌よさそうに二人を見下ろしていた。
 そして、茂みからも一人の女が現れた。
 こちらは張り付いたような笑みが浮かんでいる。
 セテシィ=メルロゴールはその女の横へと降り立った。
「綺麗な月ねぇ?」
「世間話をしに来たわけでもないだろう。用件は何だ?」
 リュクセンティフィーナ=セラフィは警戒を一層強くした。
 が、リザが前に出た。
「へえ、そういう外見と声だったんだ?」
 興味津々と言う顔だ。
 セテシィ=メルロゴールはリザに視線をやって、うっすらと口許にも笑みを乗せる。
「可哀想な子」
「……いきなりご挨拶ね。何なのよ、一体?」
 リザも強気に笑う。
 すると、セテシィ=メルロゴールは秘密の話を囁くように告げた。
「あなたにね、死んでもらいに来たの」
「……ひとつ言っていいか?」
 即座にリュクセンティフィーナ=セラフィが割って入った。
 セテシィ=メルロゴールは余裕の表情で鷹揚に頷く。
「いいわ、聞いてあげる」
「ここ十年ほど、君はなぜか弱体化して、やること為すこと失敗続き、のはずだが……その有様で私とリザに勝つつもりなのか?」
 皮肉。
 しかしそれはどうでもいいことのように流された。
「あら、それは耳が痛いわねぇ」
 くすりと笑う。
「でも、それはそうなるのが当たり前だからに過ぎないわ。それに、この泡沫に在るための楔なら回復したわ。判らないのかしら?」
「当たり前……?」
 その意味はリュクセンティフィーナ=セラフィにも理解できなかった。
 それでも、勝てると暗に宣言していることだけは確かだった。
「その人形で勝てるつもりなのか?」
 魂を砕かれた後の抜け殻は、これ以上砕けるはずもなく使い続けることができるということだけが利点だ。
 真っ当な遣い手は決戦能力において抜け殻を大きく上回る。
 しかしセテシィ=メルロゴールも不敵に笑う。
「この距離まで近づけさせて勝てるつもりなの?」
「勝ってみせようじゃないの。悪く思わないでね」
 胸を張って言ったのはリザだ。
「奇しくも災厄対決ってわけね」
 <カラミティ・リザ>という呼称と<災厄の大鎌>という呼称をかけての言葉。
 セテシィ=メルロゴールはもう一度くすりと笑っただけで何も言わなかった。
 張り付いた笑みの女の手を掴むと、その姿が消えて、女の手に大鎌となって現れる。
 柄は2mを超え、刃も2mを超え、何から何までもが黒い。
 抜け殻ゆえに<力>に色はないが、確かにその身に纏っている。
 リザもリュクセンティフィーナ=セラフィの手をとった。
「じゃあ始めますか!」
 特に精神集中の言葉というわけでもない台詞とともに迸ったのは膨大な青みがかった金色の光、手には蒼白の長弓。
 戦いは既に始まっている。
 <災厄の大鎌>セテシィ=メルロゴールを手に、女が既に目の前にいた。
 しかしリザはそれをさらに上回っていた。
 元々<武具>と<力>は物理など無視したものではあるが、これはもうそんな範疇すら超えている。
 女が距離を詰める刹那に既に十条の輝きが放たれていた。
 それは女の胸を貫き腕や脚をこそげ落とし、腹を抉り顔を半分にした。
 最早それだけで終わったようなものだ。だというのにリザは追い討ちをかけた。
 さらに十の光が奔る。
 女の身体は、残っている部分よりも消えた部分の方が多い。
 それでなお、動いた。
 セテシィ=メルロゴールを振るった。
 それは歪ですらあった。
 リザは完璧に見切り、かわす。
 まだ動くのか、そんな思いを胸に、次の一撃では完全に消滅させてやろうと凌駕解放にかかる。
『馬鹿!!』
 リュクセンティフィーナ=セラフィの叱責が頭に響いた。
 腹が裂けていた。
 次なる斬撃を感じ、かわす。
 かわしたのに、今度は右腕が完全に切れていた。
 あまりに高速すぎる戦闘であるがために、実際にはまだ落ちてもなければ痛みが伝わってくるだけの時間も経っていないが、確かにそうだった。
 そして感じた。
 現実ではない、リザの意識が生み出した景色が見える。
 自分の周囲をくまなく覆う、無限の刃。
 それからさらに変わった。
 今度はリザの生み出したものではない。



 死へと至る世界。
 そうとでも言えばいいのだろうか。
 眼下で星が、おそらくは地球が崩壊してゆく。
 それを背景として、虚空にセテシィ=メルロゴールがいた。
「はい、あなたの負け」
「……ここは……?」
 あまりにも唐突、あまりにも異様。
 手にはリュクセンティフィーナ=セラフィはない。
「あなたはもう死んでるの。ここはその魂にちょっと言っておきたいことがあって、真っ暗だと寂しいから風景をつけてみたのよ」
「……悪趣味な背景ね」
「褒められるまでもないわ」
 セテシィ=メルロゴールは悠々と、胸の下で腕を組む。
 が、口を開く前にリザが捲くし立てた。
「ちょっと待ってよ! なんで避けたのに切れるのよ!? ずるいでしょう!?」
 しかしセテシィ=メルロゴールは気を悪くしたような顔すら見えない。
「災厄というのはね、受けたものを言うのよ。受けて、耐えることは出来る。でも回避されたものはもはや災厄ではないの。災厄になるはずだったものに過ぎないの。解るかしら? 災厄である私をかわすことはできないの」
 第一階位と呼ばれるものは固有能力を持つ。
 <災厄の大鎌>セテシィ=メルロゴールの固有能力は、あえて一言で言うならば絶対命中。
 いかほどの速度であろうが、異界の果てまで逃げようが、虚に潜もうが、停滞した時の一点に隠れようが、たったひとつの例外を除けばどのような対抗手段をもってしても最優先でその刃は必ず標的を切り裂くのだ。
「まあとにかく、<星辰の弓>の相手もしないといけないから用件を言うわ」
「……何なのよ?」
 リザは突拍子もないこれを受け入れていた。
 何というのだろうか、実感があるのだ。
 快不快で自由気ままに生きてきただけではない。同時に、当たり前のようにいつかは死ぬだろうということも承知している。
 むしろさばさばと肩をすくめ、セテシィ=メルロゴールが告げる前にさらに呟く。
「あ~あ、それにしても災厄勝負にも負け、か……悔しいわね……」
 何気なく表出させた本心、悔しさを滲ませた軽口。
 すると、セテシィ=メルロゴールが不意に笑い出した。
「ふふ、あははははははははっ!! なぁに? それ、本気で言っていたの?」
「……何で笑うのよ」
 むっとしてリザが言う。
 セテシィ=メルロゴールはなおも笑いを堪えきれないようだったが、しばらくするとさすがに収まった。
「それも含めることにして、言いたいことは一つなの」
 リザに苦痛が走る。
 よく知った感覚だ。
 魂を苛まれる、あの感じ。
 セテシィ=メルロゴールは笑顔のまま、告げた。
「身の程を知るのね、人間」
 それは表情とは異なって、軽蔑する相手へと向ける嘲笑の声。
 ぐい、と手を握り締めると、リザの姿が四散した。
 魂が砕けたのだ。
「ふふ……利用してもあげないわ。そんな価値もない……いえ、やり様によっては使えないこともないかしら。よかったわねえ?」



「貴様……」
 リュクセンティフィーナ=セラフィは掠れるような声で唸った。
 セテシィ=メルロゴールは艶然と笑う。
「遣い手の無謀を止められなかったあなたの失策よ? 残念だったわね」
「く……」
 歯噛みする。
 まさに言われたとおりではあるのだ。
 第二階位以下を相手にしているときならばともかく、己と同じく界外の存在であるものを相手にして白兵距離戦などさせるべきではなかった。
 相棒を、リザを失ったのは自分の認識の甘さによるものだ。
 しかしそれでも言わずにはいられなかった。
「なぜリザを狙った!?」
「あら……」
 セテシィ=メルロゴールはまなざしを細め、その怒声を受け止める。
 小さく、朗らかに笑った。
「例えばつい先月、私の邪魔をしてくれたでしょう?」
 刹露を貫き、それだけではなく博司にかけられていた呪いまでも消し去ってしまったのがリザとリュクセンティフィーナ=セラフィであることには、当然気付いている。
 呪いの解除は能力と言うほど大層なものですらない。<希望>の眷属たるリュクセンティフィーナ=セラフィの揺らぎが、ついでに塵を吹き飛ばしたに過ぎない。
「あれさえなければきっと随分と面白いことになっていたのに……でも、それはいいの。うまくいかないのはいつものことだから。それよりも……」
 一度言葉が途切れる。
 口許にこそ笑みは残っているが、纏う雰囲気は研ぎ澄まされて剣呑だ。
「問題は今回。先に手を出してきたのはそちらじゃないかしら?」
「馬鹿なことを……私たちがお前に手を出したことなどない!」
 リュクセンティフィーナ=セラフィは自信を持って言い切る。
 そもそもセテシィ=メルロゴールとは関わりたくないと思っていたのだ、手など出すわけがない。
 が、セテシィ=メルロゴールはさらにまなざしを細め、刃の如くにする。
「出したわ? ついさっき、私の大事なご主人さまに」
「ご主人さま……だと?」
 違和感のある言葉にリュクセンティフィーナ=セラフィは眉を顰める。
「出会う人間をことごとく贄にしてきた貴様が、笑わせる……」
「人間は人間、ご主人さまはご主人さまよ。まさかあなた、こんな人形のことと勘違いしてるんじゃないでしょうね?」
 セテシィ=メルロゴールが指したのは、もはや元が人間であったことなど判らないもの。
 ここに至って、リュクセンティフィーナ=セラフィは『ご主人さま』が誰のことを指しているのかを理解した。
 邪魔な怪異を除けば、今日、手を出した相手は一人しかいない。
「馬鹿な……あれは<断罪の槍>の契約者だろう?」
「それでも、私のご主人さまなのよ」
 セテシィ=メルロゴールは昏い笑みを浮かべる。
 細い頤に人差し指を触れさせ、小首を傾げた。
「あのひとを苦しめてくれたのには感謝しているのよ? 抑えていたけれど痛そうで、素敵だったの」
 それは事実。
 夢見るような口調でうっとりと目を閉じ、セテシィ=メルロゴールは囁く。
「でもね、リュクセンティフィーナ=セラフィ……苦しそうなあのひとを見ているとね、許せないのよ。傷つけた輩がのうのうと生き残ってるなんて、許せないの」
 それも事実。
「だって私のご主人さまなんだもの」
 そう言った笑顔は無邪気ですらあった。
 リュクセンティフィーナ=セラフィは己の勘違いに気付いた。
 セテシィ=メルロゴールが言う『ご主人さま』とは遣い手のことなどではない。
 この世界においてはセテシィ=メルロゴールのみが持つと言える存在。
「そうか……<終わりを詠うもの>か、あれは」
「そう、私の憎らしい、愛おしいご主人さま。だから……」
 セテシィ=メルロゴールはくすりと笑う。
「何処へなりとも消えなさい。そして二度とあの人の目の前に現れないことね。アウリュエルスト=サイファーはあなたを他愛もなく滅ぼせるわよ?」
 この世界において第一階位と呼ばれるものは、そのあまりの階梯から、同様のものであってさえ滅ぼすには万単位の年月が必要となる。
 しかし、例外もあるのだ。
「ゼルディアス=ザンティオンを動かすことが出来ればいいとも言うがな?」
 リュクセンティフィーナ=セラフィも負けてはいなかった。
 姿を消しながらもそう言い返す。
 <断罪の槍>アウリュエルスト=サイファーが<行キ行キテ還リ来タル真ナル蛇>の側のすべての<武具>の統括ならば、<凌駕の剣>ゼルディアス=ザンティオンは<全テヲ抱ク腕タル龍>の側のすべての<武具>の統括。
 真の意味で同格だ。
「できるものならやってみるといいわ」
 セテシィ=メルロゴールは嫣然と笑う。
 リュクセンティフィーナ=セラフィの姿は既にないが気にもしない。
 月を見上げる。
 逆らい続けたがためにこの世界であやふやとなった己の存在は、今日一日で容易く強固となった。
「ふふ……ご主人さまの敵、屠ってあげちゃった……今ならきっと、しっかり準備すれば大事な人を殺してあげられるわよね?」
 語りかけるような独り言。
「弟がいい? それとも妹がいい? 昔、背中に守ったあの子がいい? それとも……」
 思い起こすのは、ひとつの凛とした顔。
 小さくとも強く、そして傍にいる。
「三峰朱鷺子がいいかしら……?」



 月は、本当に美しかった。










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