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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第九十九話「戸惑い」

 いつもの一日。
 現在、<楽園>に対しての警戒態勢には入っているが、だからといって博司の生活はさほど変わるものではなかった。もう一月が経ち、馴化されて歪な部分が随分と減ったおかげだ。
 バトルフィールドのあのトーナメントは、お座なりにも翌日も続行され、優勝した徳教が引退を宣言して終わった。お座なりとは言ってもそれは討滅の家の人間たちにとってのこと、普通の出場者や観客は熱狂のうちに終えることができたようだ。
 そして、勧誘が為された。
 博司が強硬に主張したおかげで義和は何とか外すことができたが、結局は芹と官亮を含む九人に話し、七人の協力を取り付けた。
 あの戦いで出た犠牲者の穴を早急に少しでも埋めなければならないという必要性があったとはいえ、本当によかったのだろうかと思わずにはいられない。
「博司様、どうしたんですか?」
 と、紗矢香が顔を覗きこんできていた。
 今は休憩中、縁側に座ってお茶を飲んでいるところだったのだが、自分で思っていた以上にぼぅっとしてしまっていたようだった。
「……いや……」
 博司は困ったように空を見上げた。
 一月前に光に言われたことは、あれ以来ずっと胸に残っている。
 だから、意識して観察してみた。
 そしてまず理解できたのは、自分がどれほどのことを紗矢香に世話されているかということだった。
 学校でのあれこれは言うに及ばず、鍛錬のときもどこかへ行くときも思えば沢山のことを頼っている。それだけのことを嫌な顔ひとつせずにしてくれているのだ、紗矢香は。
 学校で一年生にも少し訊いてみた。
 曰く、『祖父江先輩』とやらのことになると人が変わる、その近くに女性を見つけると凄い目つきで見ている、っていうかあなたどこかで見たことあると思ったら当の祖父江先輩じゃないですか名札に書いてありますよ。
 言われてみれば、女性と話しているときは妙によく紗矢香が割り込んできていたような気がする。
 弟、冬樹にも訊いてみた。
 すると当たり前のように言われた。
『紗矢香ちゃんなら兄ちゃんのこと好きに決まってるだろ?』
 本当に光の言っていたように、自分は徹底的に鈍かったようだ。
 だが。
「博司様、お茶のお代わり要ります?」
 にっこりと笑って紗矢香が尋ねてくる。
 だとすれば、ずっと好きでいてくれた紗矢香に自分はいったいどうすればよいのだろうか。
「……いや、もういい。再開しよう」
 ごちゃごちゃした気持ちが纏まらない。
 何も考えずに身体を動かしたかった。







 夕陽が斜めに庭を照らしている。
「師匠、どこ行ったんだろ……?」
 真琴は博司を探していた。いつもの乱稽古の後、いつの間にか姿が見えなくなってしまっていたのだ。
 紗矢香と手分けして、既に敷地内はすべて探した。例えば台所で緊急栄養補給していただとか、例えば冬樹に捕まって服の感想言わされていただとか、大抵はそんなことなのだが、これだけ探して見つからないなど初めてだ。
「むう……」
 真琴にしてみれば、是非にも紗矢香より先に見つけたかった。
 最近の博司は明らかに紗矢香を気にしている気がするのだ。
 それが自分にとっていいことなのか悪いことなのかは分からない。だが、少なくとも面白くない。
 と、紗矢香の姿が見えた。
 一人であることと表情とを見れば明らかだが、一応訊いてみる。
「どうだった?」
「駄目、全然見つからない……外に出てるのかも……」
 紗矢香は心配そうな表情だ。
「でもどうしたんだろう……あたしにも言わずに出て行くなんて……」
「そりゃ、師匠だって一人になりたいときもあるだろ? 大体紗矢香はいつもくっ付いてて鬱陶しいんだよ」
 特に売るつもりもなかったのだが、ほとんど習性で喧嘩を売ってしまう真琴。
 そして紗矢香も買った。
「鬱陶しいって、あたしからしたらあんたの方が鬱陶しいわよ」
「やるか?」
「博司様見つけたらね」
 睨み合いながら門を出る。
 もっとも、散々探した挙句帰って来たら既に博司が戻っていたという結果に終わることを、今の二人は知る由もない。







 夕暮れの中、博司は街を歩いていた。
 紗矢香に言うことすらせずに独りで出たのは、落ち着いて考えたかったからだ。
 修練をしているときは考えずに済むが、それでは何も進まない。そして当の紗矢香が傍にいてはどうにも思考が落ち着かない。
 だからこうした。
 とは言っても、さほど成果があったような感じはしない。
 何か意味のある答えなど出ては来なかった。
 周りを見回すと、土曜の夕暮れであるためかこれから遊びに行こうとしていると思しき者たちがたくさん見える。
 その中には当然、恋人同士なのであろう二人も。
 それに自分と紗矢香の姿を重ねてみて。
 ため息をついた。
 想像できないのではない。
 今までの姿をそのまま想像できてしまうのだ。
 紗矢香が傍にいることなど当たり前で、もうよく判らない。
「ほんと、どうしたらいいんだろうなあ……」
 呟いたときだった。
 雑踏の中に、こちらへと向かって来る見知った顔を一つ見つけた。
 向こうもほぼ同時に気付いたらしく、眼が合う。
「やあ」
「おや」
 握手も交わせる距離にまで近付いてから、博司と宗一郎はお互いに短い声を掛け合った。



 なんとなく、というものはあるものだ。
 厳密に言えばその時の状況や相手の様子や己の状態が複雑に絡み合ってそうなるのだろうが、その絡み合いを表現し切れなければなんとなく、となる。
 二人はなんとなく、連れ立って海まで来ていた。
 十一月の風が冷たく髪をなぶる。
 波もどこか激しさを感じさせた。
「……思えば、あんまり話したことないよな」
「ほうやなあ……」
 並んで茜色に輝く海を眺めつつ、言葉を交わす。
 まさにその通り、今まで顔を合わせることはあってもほとんど喋ったことはない。そして顔を合わせることすら、博司がほとんど学校にいないせいで少ない。
 だがそればかりではないような気が博司にはしていた。
 何というのだろうか、在り様がずれているのだ。
 葉渡宗一郎という男は、守ることを目的としているときでも行動原理そのものは非常に攻撃的だ。
 守るべき者に振り下ろされた剣を博司が弾き返すのならば、宗一郎は襲ってきた相手の息の根を先に止める、そんなところだろう。
 一月前の<楽園>の事件にもそれは端的に現れていた。
 博司とて討滅の家の宗子、少しの被害が出ようともより多くの被害を出させないために根本を絶つ、そんな考え方の妥当性と必要性は知っている。
 しかし博司としては認めたくないことだ。
 同じ<武具>遣いという連帯感はある、しかし例えば二人で組んで仕事をするとなればうまくいかないのではないかという予感がした。
「なあ……」
 ふと尋ねてみようと思ったのは、こんな宗一郎でも実は自分にとってはかなり親しい方の同年代の同性という分類に入るからだ。
 九尾の狐、刹露に出会ってからの博司は朝の出席確認にだけ出て家に帰るという行動を続けてきた。それまでは親しい友人と呼べる者もいたのだが、どうしても疎遠にならざるを得なかった。
 そのことは寂しいと思うが、仕方のないことだと己に言い聞かせて来た。
 今では、早退を注意されることも滅多になくなってしまった問題児のクラスメイト程度のものだろう、クラスの皆にとっては。
 だから、同じ<武具>遣いとして、そして事情を知っている者として、宗一郎とは親しい方だということになってしまうのである。
「ん?」
 一方、宗一郎にとってはそうではない。
 敏弘という学校での親友なのやら悪友なのやら判断しがたい存在もいるし、敬遠気味の扱いを受けていてもそれが逆にクラスの中の居場所を作っている。
 だから博司は同じ街の<武具>遣いでしかない。
 そういうわけだがら、博司の次の言葉には思わず目を丸くして振り向いた。
「自分のことを好きでいてくれる女の子にはどうすればいいと思う?」
 紗矢香のことだろうとはまず思ったものの、断定はできない。
 他にいないとは限らないし、確かもう一人傍にいた娘はあっけらかんと言ってしまいそうだ。
 だが、好きでいてくれる、という言い回しはやはり紗矢香の印象が強かった。
 しかしどちらにせよ、言うべきことは一つだ。
「君の方は?」
「……俺?」
 博司はひどく戸惑った表情を見せる。
 その瞬間に思考が止まってしまった印象さえ受けた。
「俺は……」
「受け入れたいなら受け入れりゃええし、ほういうわけにもいかんなら拒絶すりゃええし」
 身も蓋もなくはあっても斬新さなどはまったくない、しかし突き詰めればそれしかない一言。
「……簡単に言ってくれるな」
「そら、他人事やからな」
 再び海の方に顔を向け、宗一郎は口許を小さく笑みの形に歪める。
 実際はそうすっきりと行くわけではないことは承知しているが、結局は本人がどうしたいかが最も優先されるべきなのだから。
 博司もそれ以上は相談しても無駄だと悟り、何も言わなかった。
 また沈黙の時間が訪れる。
 二人並んで何をしているのだろうと、そんな気になってくる。
 太陽はほとんどが水平線に沈み、赤みはむしろ濃くなっていても明るさは随分と減った。
「……そういえば、思ってたことがあるんだが……」
 口を開いたのはやはり博司の方からだった。
「犠牲者に対して哀悼の意は、やっぱり示してほしい」
 あの<楽園>の事件での犠牲者の弔いは内々に執り行われた。
 目立つわけにはいかないからだ。
 <武具>遣いは元々国家権力とは手を取り合っているから警察や役所の方はいいのだが、人々の目に留まるのはまずい。
 そんなわけで、何もかもが小規模に行われた。墓や位牌にはひっそりと参っている。
「うちでも、みんなあんまりいい顔はしてない。葉渡君がまったく来ないって言って」
「ああ、まあ……ほうかもなあ……」
 宗一郎は気のない返事を返した。
 祖父が代表で行ったので特には行かなかっただけではあるのだが、やはり自分も行くことを期待されているということなのだろう。
 もっとも、そもそも生き残った全員が犠牲者全員の分を参っているわけではない。
 だというのに人の意識に上るというのは、宗一郎が葉渡の宗子であることもあるのだろうが、やはり第一階位の遣い手としてあの場を救って欲しかったという気持ちがあるからだろう。
「死者を悼むならどこでもええ。生者が場所を勝手に決めとるだけやからな。けど、ポーズだけ欲しいなら別に行っても構えへんけど?」
 茫洋とした雰囲気でありながら、辛辣でもあった。
 哀悼の意を示すところを見て安心するのは生ける者の自己満足に過ぎない、と。
 が、すぐに自分で苦笑した。
「いや、近いうちに一応行くわ。この場に朱鷺子がおったら何言われるか予想できてもた」
 朱鷺子は自他共に対して厳しいが、それは情を知った上でだ。迎合はしないが誠意は尽くす、そんな人柄である。
『誰しもが強くいられるわけではない。お前の行動で人々の胸を少しでも安らがせることができるならば形も無駄ではあるまい』
 悼む思いはあっても行動で表すことはしない宗一郎には、おそらくはそんなことを言うはずだ。
 唐突に出てきた朱鷺子の名と、宗一郎がそれをきっかけにしてあっさりと頷いたことに博司は戸惑いを覚えた。
「そうか……」
 朱鷺子が来たときの様子は記憶にある。
 その清冽なまなざしと礼儀正しくも毅然とした態度に、両親が本気で気圧されていた。
 博司にとって、朱鷺子も不思議と言えば不思議だ。とても自分と似通った在り方をしているように思えるのに、宗一郎とは絶妙のコンビとなっているという。
 ということは何か違うところがあるのだろうか。
 考えてみても朱鷺子のことはそれほどよく知っているわけでもないので答えは出なかった。
 大きく息を吐き、海を見ながら心を空っぽにすると、ぽろりと言葉が一つ漏れた。
「亡くなった人たちはどこに行くんだろうな……」
「世界に還る」
 即座に答え。それも断言。
 宗一郎も海を眺めたままだ。
「魂は世界に融けて還るだけや。何らかの理由で強制的に留められとる場合もあるわけやけど、原因がなくなればそれも還る」
「……そうか」
 なぜそんな見てきたように断定的に言うのかには戸惑わざるを得なかったが、それでも博司はそのまま会話を続けた。
「それは、いい事なのか?」
「良うもない、悪うもない、ごく普通のことやな」
 言葉の内容を映したように、宗一郎の口調もごく当たり前のものだった。
 当然のことを当然と口にしている、そんな感じだ。
 隣にいるのにひどく遠いような印象を受けつつも、博司は誰に言うというわけでもなく呟いた。
「また生まれるために還ったのなら良い事だと思うな……きっと……」
 失われた命に哀悼を、生まれ来る命に祝福を。
 太陽はその最後の光を投げかけ、水平線の下に没した。










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