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教育基本法関連のメール一斉送信フォーム http://www.hyogo-kokyoso.com/webmail/kyoikukihonho1.shtml を作った管理人さんのコメントにありましたので、管理人さんのコメントと併せて紹介します。 私は、兵庫県で高校の教員をやっています。貴紙の読者ではありませんが、インターネットで12月16日付けの社説を拝読し、感激しました。現場の教員の気持ちを100%代弁していただいたすばらしい社説だと思います。 とくに、改悪された教育基本法の目指す教育が、いじめの解決に逆行するというご指摘は、全くその通りだと思います。私も現場でいじめ問題に取り組んできましたが、権力的に押さえ込もうとすると、いじめは見えなくなり、ますます、陰湿化します。生徒と教師の信頼関係こそ、いじめ解決の最大の鍵です。「毅然とした指導」を行えば、いじめは根絶されるなどという考えは、全く現場を知らない人の戯言に過ぎません。 貴紙のご指摘の通り、現場の声を上げてゆくことが、権力の暴走のチェックになります。是非、現場の声を積極的に取り上げた報道をお願いします。 全国紙が、権力におもねる報道を行う傾向が強い中、貴紙が、これからも、社会の木鐸としての役割を果たしていただくことをお願いします。 ============12月16日付社説========== 社説=教育基本法 運用の監視が怠れない 教育基本法の改正案が参議院の本会議で可決、成立した。戦後教育の背骨となった重要な法律が全面的に改定された。 個人の尊重より公共の精神を優先し、国を愛する心を求める内容だ。反対が根強い中、論議を尽くさないままに成立したのは残念だ。 今後、関連する法律の見直しが進められる。法律に何が盛り込まれるのか。学校はどう変わるか。国の動きをチェックする必要がある。 何より、子どもたちがより息苦しくならないよう、現場の声を上げ続けることが大切になる。 「伝統と文化を尊重」「わが国と郷土を愛する態度を養う」「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」-。改正法にはこういった「教育の目標」がずらりと並ぶ。 憲法の理想を実現するには「教育の力にまつべきもの」として、個人の尊厳を重んじる現行法から、基本的な考え方が大きく変わる。規範意識を植え付け、国が期待するあるべき姿を押しつける方向に教育がねじ曲げられないか、心配になる。 <規律の重視だけでは> 教育をめぐる問題は深刻だ。学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の弱体化など山積している。こうした問題を、政府は個の尊重や自由が行き過ぎたゆえに生まれたものだとする。根本的な改革のための、基本法見直しだと説明している。 いまの教育を良くしたいという思いは国民の間に強い。ただ、そのために教育の理念を変える必要性は認め難い。政府の目指す方向と、学校現場や家庭が抱えている問題には大きなずれが感じられる。 例えば、相次いで表面化したいじめにどう対応するかだ。 いじめられた経験を学校などで語る、20代の人たちの話を聞く機会があった。 「学校に行けない自分を悪い人間だと責めながら、行くなら死んでしまいたいと包丁を持った」 「生きるのもつらいが、死ねないつらさにも苦しんだ」 過去を語ることは、死にたいほどのつらさを再び体験することにもなる。それでもいじめをなくしたいと、訴え続けている。 彼らがそろって口にするのは、いじめる側を厳しく指導しても、解決にならないということだ。 「なぜいじめるのか、自分の心に向き合わせる対応が大切」「先生は忙しく、子どもに接する時間が少なすぎる」「親や教師も絡んだ複雑ないじめの実態に、もっと耳を傾けてほしい」。こうした訴えは、どこまで国会に届いているのか。 14日の参議院特別委員会で、安倍晋三首相は「相手をいじめる気持ちを自律の精神で抑え、教室で迷惑をかけてはいけないと公共の精神や道徳心を教える」と述べた。体験者の声とは懸け離れた理屈である。問題を深刻化しかねない。 論議が不十分に終わった一因は、民主党にある。民主党の対案は前文に「日本を愛する心」をうたい、保守的な色合いは政府案よりむしろ強い。政府案が決まれば、どんなマイナスの影響があるのかといった問題追及が足りなかった。 <内心に踏み込む恐れ> 改正法に基づき、政府は5年間の目標を定める「教育振興基本計画」を作る。関連法の改正や、学習指導要領の見直しも始まる。今後の動きに厳しい目を向ける必要がある。 最も心配されるのは、子どもの内面に踏み込む方向が強まることだ。安倍首相は「内心の評価は行わない」としたものの、日本の伝統や文化を学ぶ姿勢や態度を評価することは明言している。 評価の対象は「態度」だとしても、法律などで教育目標となれば、子どもに強制することになりかねない。通知票で「愛国心」を評価することに、どんな意味があるのか。 かつて国旗国歌法の審議でも、日の丸掲揚や君が代斉唱を義務付けるものではないとの答弁はあった。しかし、現実には教職員への指導強化になり、自殺者まで出た。事実上の強制である。二の舞いは避けねばならない。 第二の心配は、地域や学校の自主性が狭められることだ。 教育基本法は、戦前の教育が国家のために奉仕する国民を育てた反省に基づいて生まれた。「不当な支配に服することなく」と、教育の中立性や自由をうたっている。 <改憲への岐路に?> 改正法は教育行政について「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」としている。教育内容への国の関与は、強まると考えねばならない。学校の裁量や自由が狭められる心配が募る。 学校も家庭も余裕がない。そんな中で、例えば「いじめや校内暴力を5年で半減」といった目標が掲げられたらどうなるか。現場はより息苦しくなる。 子どもたちに徳目を押しつけるだけは解決にならない。そういった生の声をこれからも上げ、法の運用に目を光らせていく必要がある。 教育基本法改正は、憲法改正にもつながる。自民党の新憲法草案は個人の自由と権利の乱用を戒めている。このまま、国の関与が強まる道を選ぶのか。岐路に立っていることを自覚しなくてはいけない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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