虐待
子供の虐待事件を、子供のいない人が論じることについて。子供の虐待がニュースになった時、当然ながら、虐待親を非難する声が上がる。やはり、育児中だと自然とそういうニュースには敏感になるのか、意見を述べているのは子供を持つ親である人が多いようだけれど、中には、高校生や大学生、社会人であっても独身であったりと、子供のいない立場の人の意見も多く見られる。そういう人たちに対して、子供を持つ親であろう人たちの中から、「子育て経験がないのに、あまりわかったようなことを言うべきではない」という意見が出ることがある。私自身は、確かに、育児は、自らが経験しないことには絶対にわからないことが多いもののひとつ、だと思う。が、それはそれとして、悪いことは悪いのだから、子供がいないから、子育て経験がないからといって虐待事件について一切意見をするな、という締め出しは、何だかおかしいとも思う。というのも、ただ叩くだけ等、極端な意見を持つ人は、子供がいるいないに関係がないような気がするからだ。子供の虐待(それも、死に至らしめてしまうほどの)は、本来あってはならないこと。普通の親であれば、それがわかっているから、心でどんなにイライラしたり、極端な話、殺意を感じるくらい余裕のない時がたとえあったとしても、決して、それを行動に移したりはしない。でも、虐待親を取り巻く環境のことも何ら想像できず、理解しようとせず、自分は親に子育てサポートをしてもらいながら等、ある種恵まれた立場にいながら、虐待なんてけしからん、親はこうあるべき的な精神論を持ち出して虐待親を叩くだけの人の意見等を目にすると、ものすごく違和感を覚えてしまう。もし、自分が虐待親について語られるような、劣悪な環境の家庭の中に生まれ、父親、母親共に、まともな愛情を受けられずに育ち、そのまま親となった時に、子供に同じことをしないと言い切れる自信が、私にはない。特に、私なら実家に頼るわ、なんて人の意見を聞くと、本当に何にもわかっちゃいないし、何の解決策も提示できていないし、なんて視野が狭いんだろうと思う。その人に想像力がないのは、はっきり言って、子供がいる、いないに関係ない。私が、仮に自分の娘に対して虐待なんか絶対に行動に移さない!と言い切れるとしたら(もちろん、言い切りますが)それは、私自身が母親からたっぷりと愛情をもらって、きちんと育ててもらえた、というベースがある今の自分だからこそ、それが言えるんだということに過ぎない。私は、虐待をした親、子供を餓死させた親を庇うつもりなんて毛頭ない。そんな気はさらさらないけれど、ただ叩く、親を非難するだけじゃなく、もう少し想像力を働かせて、自分に置き換えて、どうすれば防げるのかを、解決策を探る方向で考えてみればいいと思う。自分以外の家庭のニュースに関心を示す余裕があるならなおさら。基本、機能不全家庭に自浄能力はない。自力でそこから逃れる能力のない人間を負の連鎖に陥らせないためには、社会に権限を持たせた家庭への介入が必要だと強く思う。家庭でのしつけが一番大事、そんなことはみんな重々わかっている。それが機能しなくなっているから、虐待やいじめ問題が起こるわけで。だからと言って、昔はよかった論で、責任を母親や家庭に丸投げしていたらきっと問題は永遠になくならないだろうと思う。しつけが大切だとわかってる家庭は、言われるまでもなく昔からずっとそうしてるもんだろうし、そうじゃない家庭は、昔からずっとそのままなのだから。家庭を聖域にしていては、何も解決しない。