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テーマ:介護・看護・喪失(5317)
カテゴリ:自宅で看取る
ワタシの廻りに老人ホームに勤めている人がおりまして
義母が帰って来たときも、アドバイスを下さいました。 その方々が義母を訪ねて来てくださるのですが そろって「○○さ~ん、おはよう!!」と大きな声で話しかけるのです。 今寝たところと言っても平気で起こしてくれます。 義母は耳が遠いわけでも認知症でもありません 病人なのです。 ワタシも自分がこんな体で無かったら理解できなかったかもしれませんが 人のパワーを受け止めるって結構大変なのです。 聞いてるだけでいいじゃんと思われるでしょうが そういうわけにはいかないのです。 大勢の中ではなく自分に向かってくるわけですから受け止めるのは大変です。 それだけで疲れてしまいます。 老人ホームでは「○○さ~ん、おはよう。今日は言いお天気よ~」と耳元で大きな声で話しかけるでいいのでしょうが、病人にそれはキツイです。 亡くなる2日ほど前も、もう便が止まらなくなった時も おしりふきだけでなく、蒸しタオルで拭いた方がと言い 拭いてくれましたが、もう見ているだけでそんな体力がないのです。 さっとキレイして、さっとオムツをはかせなければ オムツを取り替えるごとにも体力が奪われていくのが解ります。 この先何年もオムツ生活をしなければならないなら そういうケアも必要かもしれませんが おしりが荒れるよりも重要な事があるのです。 次の時には体力がないから無理だからやめて下さいと言いました。 それでも義母はオシッコをオムツで一度もしませんでした。 最期まで自分でポータブルのトイレですが座ってオシッコしました。 何度もオムツしているから、大変だからトイレには行かずオムツを使ってねと言いましたが 自分も15年前介護をしていて、おむつ交換をしていたので、大変さは一番わかっていたのだと思います。 便をだしきってからも一度もオシッコはせず 尿がでなくなって、まる2日以上経っていたので カテーテルを入れてもらったら900ccも溜まっていました。 水分もほとんど取れていなかったのでオシッコとしてでる物はなかったのだと思いますが 結局最期までオムツにオシッコをする事はありませんでした。 カテーテルから出たオシッコも数日前から溜まっていたものなので 一度出きってしまうともう新しい尿は出ませんでした。 看護婦さんからも気丈な方ですねって言われました。 本当に最期まできちっとした人でした。 ワタシだったらすぐオムツにジャ~ってできるなと思ったりしました。 痴呆や認知症などでは、トイレはリハビリかもしれませんが 病気の場合、トイレへ行く事は命を縮めるなと思いました。 家で見ているからこそ実感したのだと思いますが 介護と看護は違うとはっきりと感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月11日 21時59分00秒
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