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エレファントピア

エレファントピア

クメール・ルージュと歴史

「私の両親もその時のことを話してくれたけど…。でも信じてないんです。」(20代、女性)
「白湯しか与えられないで、ダムや灌漑施設の工事ができたなんて、信じられないもの。」(20歳、男性)
「本や映画の中だけのことだと思います。皆を怖がらせる(楽しませる)ための作り話だと思う。この目で見たことではないので、信じていません。」(24歳、女性)

(3月17日付カンボジア・デイリーより抜粋和訳)


なんのことか?
クメール・ルージュ、ポル・ポト政権時代に行われた殺戮、拷問、強制労働、そして粛清の過去についてのコメントである。
これを読んだとき、一体カンボジアでは何が起こっているのか!?と焦ったが、よく読んでみるとパイリンと呼ばれるタイとの国境に近い、元ポル・ポト派の拠点だった町で開かれた「正義と調和のためのフォーラム」出席者の言だった。

今年に入ってからカンボジアでは、犠牲者や生存者、遺族によって長年待ち焦がれられてきた元ポル・ポト派裁判の開始が現実味を帯びてきている。国連と政府間では、裁判官、判事、証人名簿などの調製が行われているらしい。
ポル・ポト派がプノンペンから堕ちてから27年、ポル・ポト本人の死から8年の歳月が流れている。「なぜこんなに待たされなければならないのか?」という空気、政府への不信感は色濃い。

なぜこんなに裁判が始まらないのか?は、私にはまだよく分からないのだが、ポル・ポト後の混乱期にも、多くの現政治家がポル・ポト派と一時的に手を結んだり、協力したりした経緯もあったそうなので、この裁判が今でも紙面をにぎわせている、政治劇や駆け引きに利用されているのではと想像できる。

パイリンのような元ポル・ポト派兵士が暮らす地域の住民たちにとっては、裁判の開始と、それに伴うアンチ・ポル・ポトムーブメントが飛び火して、自分たちの生活や生命が脅かされないかを心配しているのだろう。そして上記のようなフォーラムが開催されているわけである。
さらに「クメール・ルージュの歴史は学校教育から欠落している(2003年7月のカンボジア・デイリーより)」という全国的な背景もあるらしい。


それにしてもこの記事を読んだ時は、ショック~を受けた。
よく読めば、それなりの事情があるし、このコメントをカンボジアの若者全般に一般化することはできない(はずだ)とは思うのだが、なるほどこうして歴史というのは、選択され、作られ、消され、認められていったりいかなかったりするものなのだな~。ということを、目の当たりにした気分だった。

「だって自分の目で見たわけではない」と言われてしまえば、歴史なんて人類発生以降、ずーーーーっとそうである。ナポレオンもいなかったし、徳川家康もいないし、第二次世界大戦だって、私は見てないからなかったのか!

それでも人が「歴史」を学ぶのは、過去から何がしかを学ぶことができるからじゃないだろうか?同じ過ちを繰り返すのを、(少しの間でも)ストップすることを望んでいるからではないだろうか?

よくカンボジア人は、「この国がトラウマから抜け出して、本当に再生するのには、あと1世代の交代を待たなければならない。」と言う。それは、辛い過去をまったく知らない幸せな世代ということなのか。それとも過去を知った上で、過去を乗り越えた世代ということなのだろうか。

(2006年3月22日)


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