くりごと

2007/03/23(金)01:48

おまわりさんの碑

ふるさと(29)

実家のある十条は殆ど平らな土地なのだけど十条という地名の場所と すぐ燐にある赤羽西町会や西が丘町会との間には谷状の土地が長く伸び 一目で以前はそこに川が流れていたのだろうという事が想像出来る。 実際そこは稲付川とか梅ノ木川などと呼ばれた川が昔は流れていて 私の小学生の頃までは深くて大きなコンクリートの溝に水が浅く流れていた。 その川の両側に板が敷かれて川に沿って歩けるようになっていたのだが 深い底に落ちてしまいそうで恐ろしくなるべく近付かないようにしていた。 親にも落ちたら危ないから板の道を歩かないように言われていた場所だった。 その川もとっくの昔に暗渠となり今ではその上は結構重要な道路になり ずっと西が丘・稲付方面から岩槻街道・赤羽へと続く道になっている。 さて本題 実家はその台地が急に切り込んで川によって谷状になった町会の坂の上の方にある。 幼い頃祖母は私をつれて毎日のように坂をてくてく下りそこにかかっていた梅の木橋という 長さ5m程の橋を渡ってすぐにあったある記念塔にお参りしたものであった。 その碑は昭和33年の台風時に起きた水害で殉職したおまわりさんを追悼する碑である。 上十条五丁目と赤羽西4丁目とはその暗渠になった谷底の道路を隔てて向かい合っている。 おまわりさんの碑は赤羽西側に建っていたけれど古い上十条五丁目の住人達にとって 子供の頃から結構馴染み深い記念追悼碑で当たり前のように大切にしていた物である。 そこに存在するのが当たり前であり地元民から深い尊敬と感謝を持って見られていた。 その「園部おまわりさん ありがとう」の碑がいつの間にか消えてしまっていた。 辺りをあちこち探し回っても見付からないし知人達の誰もが私に訊ねられるまで 誰も気がつかずにあたりまえにその碑がそこにあるものと認識していた。 昔は生垣の外側にあった碑が建てられていた場所は小さな駐車場に変わってしまっていた。 数年前に区のNPO関係の知り合いで「こちら赤羽調査隊」というホームページを主催している 隊長のえのもんさんと言う方にお話してみたら一生懸命にその近辺や駐車場の 地主さんなどに聞き込み調査を行ってくれた。 しかし結果は残念な事に碑のありかは解らず終いで碑は行方不明のままになっていた。 えのもんさんはそれでもあきらめずに時間のある時は気にかけてくださっていたようで 先日ついに「碑が見付かった」とのメールを受け取ったのである。 探しても聞き込みをしても見付からない為赤羽警察に質問しに出かけたところ なんと碑は赤羽警察署の建物の裏側にある「殉職警察官の碑」に並んで 園部おまわりさんありがとうの碑もちゃんと大切に建てられていたとの事であった。 なんて嬉しい話だろう、私は大興奮で大喜び 碑が見付かったこと、大切にされていた事、えのもんさんの努力、 そして結果を忘れずに知らせてくださった気持ち・・・、本当に嬉しい出来事だった。 21日に夫と散歩がてら赤羽警察に行ってみた。 建物の裏側という事なので回り込んだら見られるかとおもったのだが どうもそうではないらしく建物を通って裏庭のような場所に行かなければならないらしい。 休日で空いていた受付で訪問の主旨を話し上司の許可を貰っていただき 更にこちらの住所氏名年齢電話番号を書いてから一人の警官が案内してくれて奥へ入った。 警察署の建物を縦断して奥庭に入るのだからそれだけのセキュリティが必要なのだろう。 そしていよいよ十数年ぶりに園部おまわりさんの記念碑に対面出来たのだった。 久し振りに会えた碑は昔の記憶のままの字体でちょこっと以前よりは気取った場所に 堅苦しく置かれているように見えてそれを照れているような風情を感じた。 懐かしい古い思い出に出会えた事が本当に嬉しくてしょうがない邂逅だった。 先日常盤台の駅の踏み切りで自殺願望の女性をなんとか助けようとして電車にはねられ 残念にも無くなったお巡りさんがいたけれど 昔から警察官の本来の姿で一般住民を守ろうとして一生懸命に使命に燃えている お巡りさんは沢山いるのだ。 交番というシステムのある日本では地域との交わりの深い関係にあり そういった人と人としての血の通った関係が犯罪の少ない社会を作っていた「筈」だった。 昨今の警官の不祥事は職業が警官だから大きくマスコミに取り上げられるけれど 昔と同じく地域の安全と治安を守る為に汗を流す警官も沢山いるのだと信じていたい。 「記念碑について 昭和三十三年九月二十六日夕方赤羽警察署の園部警部補は第二十二号台風による崖くずれの 警戒中倒壊家屋の下敷きとなった親子四人を身を挺してたすけ出し更に取り残された幼女を 救おうとした時再度の崖くずれがあったため倒壊した家屋もろとも濁流に押し流されて 壮烈なる殉職を遂げたものである。 その後殉職のその地に近い第三岩淵小学校ではこれを 生きた教材として取り上げたところ学童は自らの手でささやかな碑をたて花を捧げ感謝の 日誌を綴って園部警部補の冥福を祈った。 これを聞いた渋谷に住む石龍さんは園部警部補の殉職と学童のまごころに感激永久に 記念されるべきものとしてここにこの碑を建立されたものである。 昭和三十四年五月五日建立」 後記: このところあまり遠出してないのにこの日は何となく痛みもなかったようなので     歩き過ぎてしまったようで非常に疲れた。     今日は膝の痛みがぶり返してしまった(^^;     息子からは(物理療法士の勉強中なので)今年は神輿は駄目だとかメールが来るし     重い荷物は絶対に持ってはいけない、そうでなくても体だけで充分重くて膝に     負担がかかっているとか注意されてしょげてしまっている私なのだよ、トホホホ

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