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カテゴリ:名古屋(千種・北区・守山・名東・天白)
尾張国末森城の麓にあった八幡社が末森城址に還座されたので、約10000坪の城山八幡宮敷地内に末森城址が重なります。
城山八幡宮は、500年以上前から産土神として崇敬を集めてきました。 八柱の神から特に、厄除開運・交通安全・必勝守護・家内安全・縁結びの御神徳があるそうです。 明治期に村内の、八幡社、浅間社、山神社、一ノ御前社、白山社を合併合祀した事で、広く約五万人の氏子区域を持つことになりました。 昭和11年、氏子崇敬者の浄財寄進により、旧来境内地であった末森城址に遍座されました。 御祭神は、 譽田別命(ほんだわけのみこと)応神天皇、 息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后、 帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)仲哀天皇 の三柱の八幡神を主神として、 木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)、 大山祗神(おおやまつみのかみ)、 菊理媛命(くくりひめのみこと)、 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、 伊邪那美命(いざなみのみこと)の五柱の神を合祀されています。 末社に、 山神社(大山祇神)、 神明社(天照大神)、 津島社(建速須佐之男命)、 豊玉稲荷社(稲荷大神)が祀られています。 末森城は織田信長の父、織田備後守織田信秀が古渡城から移り本城として築いた城です。 この地は、織田信秀の弟で信長の叔父 にあたる信光の守山城との線を重ね、尾張の守りとして、三河方面よりの松平清康・今川義元等への東方固めとしていました。 父、信秀死後、末森城は次男である(勘十郎)信行が継ぎ、母の土田御前と共におりました。 兄信長がうつけ者と呼ばれるほど気性が荒いのに対し、信行は礼儀正しい秀才型でした。 弘治二年(1556年)8月23日に、織田信長とその実弟であり末森城城主織田信行(信勝)が織田家の家督をめぐり、現在の名古屋市西区で稲生が原の戦い(いのうのたたかい)を起こします。 結果は、信長の勝利となり、信行は母土田御前の取り成しにより助命されます。 柴田勝家は、このとき信行についていたが敗れ、信長につくようになります。 信行の若衆津々木蔵人は勝家と同格であるのに、家中侍の主な侍が蔵人に就けられると増長し勝家を罵る様になり、勝家は無念に思い信長に寝返った。 信行が再び信長に対して謀反を計画すると、柴田勝家がそのことを信長に密告した。 二年後、信行は信長病の知らせを受け清洲城へ見舞いに訪れた際に、信長家臣池田恒興らによって暗殺されました。 翌年、末森城は廃城となりました。 現在でも、深さ7mほどの空堀跡など遺構がよく残っています。 本殿裏手に、連理木(れんりぼく)と呼ばれる御神木、アベマキの古木があります。 この木は地上3mの所で二幹に分れ、6mの所で再び合一して、そこから上にも枝を出している。 枝と枝が通じた事で吉兆とされ、縁結び・良縁祈願・夫婦和合の御神木として信仰されてきました。 この木の元で、出会った男女が結婚に至ったなどの縁結びエピソードが多くあるそうです。 現在、カシノナガキクイムシの被害から連理木を守るため、ネットがかかっています。 「恋の三社めぐり」とは、恋愛に纏わる三ヵ所の神社を参拝し祈願するもので、スタンプラリーのように台紙にスタンプ(各100円)を集めると記念品授与があるそうです。恋愛運上昇を狙う人に良いかも。 縁結御神木『連理木』城山八幡社 恋の霊水『古井の水』高牟神社 恋愛成就『清明占い』清明神社 城山八幡宮境内は、名古屋市野鳥保護区でもあり、鳥の鳴き声が常に聞こえていました。 観察される野鳥は、メジロ、エナガ、シジュウカラ、ウグイス、コゲラ、ツバメ、シメ、シロハラ、キジバト。 所在地:愛知県名古屋市千種区城山町 高級 | 温泉 | ビジネスホテルカップル | 家族旅行 | 民宿・ペンション | 楽パック(交通+宿泊) | ANA+宿泊 | JAL+宿泊 | 高速バス | お得なディズニーホテル | レンタカー | ペットホテル | お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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