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カテゴリ:長野
上田城は真田幸村(信繁)の父、真田昌幸によって築かれた平城です。
上田城本丸東虎口の櫓門と隅櫓 南櫓と北櫓 画像をトリミングしても、真田丸フィーバーで、嫌になるほど人がいます。 門の入口右の石垣に説明板がありました。大手の石垣、真田石は巨石です。真田信之が松代に移封を命ぜられた際に、父の形見として持って行こうとしたが微動だにしなかったとか。 真田赤揃え兜 真田神社手前にあるドデカイ赤兜は目を引きます。ここで記念写真を撮る方が大勢います。 神社奉賛会の奉納だそうです。 上田神社の由緒 戦国時代の天正11年(1583) 上田にこの城を築き城下町を造った、真田父子を主神として、江戸時代には民生に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とする神社。 殊に十数倍の大軍を2回も撃退し、日本一の知将と謳われた真田幸村の神霊は、今も知恵の神様として崇められているそうです。 本丸西櫓 真田昌幸の築いた上田城は、関ヶ原合戦直後に破却されましたが、次の上田城主となった仙石忠政により寛永3年(1626)再建され、現存する南北西の櫓はこの時期のものだそうです。 仙石忠政は、慶長5年(1600)には父・秀久(小諸藩初代藩主)と共に上田城攻撃、大坂冬・夏の陣にも加わっています。信濃小諸藩より忠政が6万石で入り復興工事に着手するが2年後に病没したので、中断されたまま明治維新を迎えています。 上田藩主居館跡 上田城と上田駅の間に位置し、歩いて行けます。 上田城三の丸内にある現上田高校敷地は、真田氏以降、仙石氏、松平氏と続いた上田藩主の居館跡であり、「御屋形」おやかたと呼ばれていた。 四囲に堀と土塁をめぐらした陣屋の構えを取っていたそうです。 長野県上田市二の丸2-12 上信越自動車道上田菅平ICから15分、JR上田駅 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016/05/23 10:17:44 PM
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