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カテゴリ:プロフィール
1975年5月22日生まれ、O型です。
宮城県の古川市で生まれ、七ヶ浜と言う小さな町で育ちました。 中学生の頃から英語に憧れ、英語を使う仕事に就こうと決意! でも英語は苦手で・・・・ 留学を決意、でも父親が大反対。 一生懸命お金を貯め、250万たまったので、 留学先を決め、F1ビザを所得、航空券を購入して、 渡米の一週間前に父親に手紙をだしました。 父も私がここまでするとは思っていなかった様子で、 何も言わず数日が過ぎ・・・・ 結局留学を許してくれた。 オレゴン州ポートランド市でビジネススクールに9ヶ月間通い、アメリカで1年間働けるビザを取得し、中学生の頃から夢見ていた職業『スチュワーデス』を目指し、航空会社を色々調べました。 やっぱり給料が一番高く、世界中に路線が有る○○航空会社へResumeを送り、 ポートランドで面接/試験(一次面接と二次面接)を無事合格、三次面接も無事合格♪ 次の週からさそっくトレーニングがスタート、 航空会社は何処もそうだがバックグランドチャック(経歴)がめちゃくちゃ厳しい。 私は、日本で1ヶ月間何もしないでいた時があったのよ、その間何もしてなかった事を証明しなくてはいけなくて、困りました。 学校へも仕事場へも確認の電話が有ったそうです。 順調にトレーニング2週目を迎えた頃、 突然呼び出され、 雰囲気でヤバイ!!っとさとりました。 案の定『あなたはグリーンカードもしくは永住権を保持しているか?』っと聞かれる。 私『いいえ、持っておりません。インタビューの際に伝えましたが。』 会社『申し訳ないんですが、グリーンカードか永住権を保持してない人は自社では働けないんだよ。』 私『どう言う事ですか? 私はインタビューの時にちゃんとPTCしか持っていないと言ったじゃないですか? トレーニングに来るために前の仕事もやめたんですよ!! 今更、グリーンカードを持ってなきゃ駄目だなんて、酷いじゃないですかぁ~~~!』っと号泣、どんなに泣いても、文句を言っても駄目でした。 唯一の救いは『グリーンカードを取得したらいつでもトレーニングに戻って来て構わないから』っと言ってもらえたことだけでした。 アメリカで夢の職『スチュワーデス』になれないと悟った私は、日本へ帰国しました。 日本でスチュワーデスになろう!と履歴を送りましたが、 何処からもインタビューのオファーがありませんでした。 1年間日本で遣りたくもない仕事をして過ごしました。 時間だけが過ぎ、 先が見えない将来に絶望していました。 でも周りの人達にはそんな素振りを一切見せた事がありません。 皆私が何時スチュワーデスになると疑わずに居てくれました。 アメリカの友達に会いに渡米。 素敵なアメリカ人に出会いデートし始める。 出会って3ヶ月で結婚、 ビザなしで入国したので、3ヶ月後には日本へ戻らなきゃいけなかったのです。でも彼は私に日本へ戻って欲しくなかったので、『結婚しよう♪』っと言ってくれたのです。 めちゃくちゃ嬉しかった。 彼はめちゃくちゃハンサムだし、めちゃくちゃ性格のいい人で、結婚するならこんな人っと誰もが理想像にしているようなタイプの人だったし、何よりもスチュワーデスになれる♪♪♪ グリーンカードを取得して直ぐトレーニングに復帰、以前トレーニングを無事卒業していたら、グリーンカードさえあったら、NY-成田便という最高のラインを保持していた筈が・・・・・・、結婚してグリーンカードを手に入れてからトレーニングに戻ってきた時には、時既に遅し、成田便のラインを保持するには多分30年以上かかりそう・・・・ 何はともあれ、無事フライトアテンダント(スチュワーデス)になれたのですから、その喜びはひとしおでした。 あれから、かれこれ6年2ヶ月、世界中飛びまくりました。 地球を何十往復してるのかしら??? 誰もが夢見た職業に就けるわけじゃないけど、 私は幸運にも手に入れることが出来ました。 今はアメリカの生活にもすっかり慣れ、(慣れすぎてる?)、 素敵な旦那様と可愛い息子と一緒に幸せな生活を過ごしてます。 大好きな仕事が出来るのは、旦那と息子の協力があってこそです。 夢は努力と自分を信じる強い意志があれば必ず叶う筈です。 自信は態度に出ますから。 けして諦めずに、夢を追い続けてください。 長くなりましたが、最後まで読んでくださり有難うございます。 是非また遊びに来て下さいませ☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月17日 04時33分25秒
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