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あむりたのしずく

あむりたのしずく

4・イメジェリーと水中出産

[1998年・創生会レポート掲載]

  お産に際して重要になってくるのが、いかにリラックスできるかということです。緊張や不安、恐怖は瞬間で呼吸を浅くし、身体を固く縮こませてしまいます。赤ちゃんをスムーズに生み出してあげるには、身も心もゆるめ、開き、流れに身をまかせることです。

  私の場合は、身体づくりに余念がなかった事、出産の仕組みを理解した上で明確なバースプランを立てていた事が自信と安心につながりました。加えてイメジェリーの効果が絶大でした。誘導瞑想のようなもので、ビジョンとアファメーション(声を出して唱えること)を使って心身を深くリラックスさせ、穏やかなお産の進行を促すのが目的です。

  妊娠後期から取り組んでいたのですが、とても気持ちが落ち着き、散漫になりがちな意識を内側に向けるために役立ちました。私だけの特別な場所「スペシャルプレイス」でくつろぐイメジェリーや澄みきった水晶の宮殿に浮かぶ赤ちゃんに会いに行くイメジェリーなどはお気に入りでした。

  後はもう好きなこと、やりたいことをやっていました。妊娠8ヶ月半ばにして、前々から行きたいと思っていたハワイのカウアイ島を訪れ、毎朝海から登る朝日を眺めながら夢のようなバカンスを過ごすことができました。(ヒーリングアイランドのエネルギーをたっぷり吸収したのか、帰ってきてから急にお腹が大きくなりました) その後も、臨月のお腹を抱えて温泉、外食、映画にコンサート・・・世間がクリスマスムード一色に染まる中、私は心残りのないようにとばかり飛びまわっていました。

  予定日は年が明けて1月10日。津留さん親子はイヴの日から海外へ旅立ち、私と母も御用納めの後、父のいる実家へ帰り年始年末を過ごす予定でした。しかし27日になり慌ただしく帰り支度をする母を横目に、なぜか私はどうしても帰る気になれませんでした。自分でも不思議に思いながら、でもその心の声に素直に従うことを選びました。

  世田谷の家に残った私はおむつや寝具その他もろもろ、最終的に赤ちゃんを迎えるための準備を整えながら、一人きりの静かな時を楽しんでいました、そしてその日がやってきたのです。突然に。

  29日午前3時、私はふいに目が覚めました。気付くとふとんもパジャマも生温く濡れています。「もしかして破水? でも・・・」私は着がえ、新生児用の紙おむつをあててしばらく安静にし、様子を見てみることにしました。少し興奮しているのか、やや心臓がドキドキしていましたが、自分でも驚くほど冷静で、穏やかな心境でした。液体の流れる感覚が続いています。やはり破水のようです。下腹部に生理痛のような鈍い痛みが出てきました。私はバースハウスに電話をして経過を報告し、朝を待って入院する旨を伝えました。また実家にいる母にできるだけ早くこちらへ来てくれるよう頼みました。

  これらの手配が済み、ほっと一息ついた私が一番最初にしたのは、お米をといでご飯を炊くことでした。「昔の人は陣痛が来てから自分でご飯を炊き、おにぎりを作ってお産に備えたものよ」といつかどこかで聞いたことがあり、「何だかかっこいい!」と秘かにあこがれていたのです。実はご飯に混ぜるふりかけなどもしっかり用意していたのでした。

  一世一代のイベントです。楽しまない手はありません。ご飯を炊いている間に濡れてしまったシーツやパジャマを洗濯機にかけ、お風呂に入り髪も洗い身づくろいを整えました。ちょうどお腹が空いたので、しっかり朝食をとった後、念願のおにぎり作成にとりかかりました。この頃には子宮の収縮(陣痛)が5分間隔になっていたので、痛みが来る度にしゃがみ込んだり、よつんばいになったりしてやり過ごし、収縮が治まるとスクッと立ち上がり作業を続けました。

  準備万端整った午前7時には母もかけつけてくれ、早速タクシーを呼んでバースハウスへ向かいました。バースハウスで6畳ほどの和室に通され、ここでしばらくお産が進行するのを待つことになりました。ずっと5分間隔で来ていた収縮は徐々に2、3分間隔になり、もうこの頃になると冷静な思考も、時間の感覚もマヒしてしまっていました。

  おふとんが敷いてありますが、横になっている暇などありません。巨大なそばがらのクッションに抱きついたまま、収縮の波が押し寄せる度に、深く息を吐いてこわばる身体をゆるめ、美しいバラのつぼみがゆっくり花開いていくイメジェリーです。映像をリアルに思い描きながら「オープン、オープン・・・」と呪文のように唱えていました。

  赤ちゃんが全て知っています。産まれてくるタイミングも手順も。母体が全てを知っています。今何をすべきかを。永遠にも思えるこの時間の中、私にできたのはただ赤ちゃんと自分の身体を信頼し、委ねて波に乗ることだけでした。
 
  次第に骨盤が押し広げられ、赤ちゃんの頭が下がって来て子宮口が開いてきます。Y先生の内診でもうすでに直径8センチほどまで開ているとわかった時には、先がみえたようで心底ホッとしました。

  いよいよ待望のプールに入ります。服を脱ぎ暖かいお湯につかると自然と身体の余分な力が抜け、呼吸が深くなりました。家から持参したエンヤのCDを流し、お湯には天然ミネラル塩を溶かしました。さあ、もうこれで「いつでも来い!」という感じです。部屋にはY先生と女性スタッフが一人だけ。バースプランで伝えた通り、お産の進行状況や息むタイミングなど必要最小限のアドバイスをして下さる以外は、静かに見守っていただきました。かたわらで母が写真を撮り、記録を残してくれています。神聖な誕生の時を前に皆の意識が一つになっていきます。
 
  どれほどの時が経ったのでしょうか、子宮口は全開になり「あっ頭が見えた!」という声が聞こえました。触ってみると確かに分かります。はやる気持を落ち着けながら、リズムに合わせて息むこと数回。つるんっと頭がでてきました。赤ちゃんも私もここで小休止。しばらく体力を貯てから、赤ちゃんはゆっくりと自分で回転し、出やすいように身体の向きを変えていきます。話には聞いていたものの、実際に目のあたりにして、生命の神秘を感じざるを得ませんでした。そして次に息んだ時、とうとう全身が姿を現しました。やっぱり女の子。平成9年12月29日、娘が誕生した瞬間です。

  へその尾で繋がったままお湯の中をふわふわ漂うベビーは、まるで宇宙遊泳をしているかのようでした。私はそっと抱き上げると、その温もりを確かめるように、おそるおそる胸に抱きしめてみました。
 
  つきあげるような感動ではなく、泉がゆっくりと湧き出すような、穏やかな至福感が私を包み込んでいきました。頭を少し下に向け、飲み込んでいる羊水を吐き出させてあげると、ベビーは静かに自然に呼吸を始めました。おっぱいを含ませてみます。何だかてれくさいような、誇らしいような不思議な気持がしました。ベビーは安心したのか余裕たっぷりで、「ここはどこ?」とばかりに部屋を見回しています。頃合いを見計らって、母の手でへその尾が切られました。

  私の身体のアフターケアをしている間、沐浴・計量などのため別室へ連れて行かれたベビーは、誕生してから初めてふえふえと泣き声をたてました。お互いにこざっぱりとした私達は、和室へ戻り、しばらくぐっすりと眠りに落ちたのでした。



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