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テーマ:忘れ得ぬ舞台(11)
カテゴリ:舞台・音楽・芸能パーフォマンス等々論
中央に立つキム役の女性、本田美奈子なのかダブルキャストの相方(入江加奈子)か判らなかった。だが、声質、首の動かし方、あごの形、テレビで見ていた「ジャリタレの範疇に押し込められていた、スケールアウトしそうなアイドル」本田美奈子と、瓜二つだ。もしそうなら、ニューヨークでミュージカル俳優としての修行をしていたと言うだけあって、発声法もチョットした身のこなしも、当時アイドルに期待されていた不安定さを完全に脱却し、米国で見たミュージカルの舞台を彷彿させる。しかし、米国でシュバートシアターのようなミュージカル舞台に立つためには、高倍率オーディションを通らねばならない。そのレベルに近づいているといえるのであろうか?
そんなことを思い浮かべながら舞台進行を見ている内、何か違う、、、、見ているのは何だ?上手いとか下手とか、そんなことと別次元のものを我々は見ているのだ。、、、そう、見えていたのはベトナムの,少女から女性になっていく途中の、モラル・知性・理性・美貌を兼ね備えたベトナムの娘、キム。ベトナム戦争の戦火と混乱で全てを奪われ、サイゴンの繁華街で水商売と売春の狭間を、足下と遠い未来を見つめつつ生きようとするキム。それが舞台で歌い踊る。劇中人物になりきってしまった演者、それを正に実感した初めての経験であった。 キム、米兵と恋に落ちる。米兵は良き米国人。キムが米人基準から見れば異形ではあれ人間なんだと知り、愛を育むが、所詮上から目線の施し愛。サイゴンが陥落し、米国はベトナムから撤退、要するに逃げる。米兵はキムを米国に連れ帰ろうとし、キムもその気になっているが、そこで,米兵撤収の、このミュージカルの肝でもあるヘリコプターシーンが来る。ニャンスケの記憶の中では、これはクライマックスで,いつの間にか、最後のシーンのようになっていた。よくよく考えるとあのシーンは前半の終わり近くだったのか。 ヘリコプターが降りて、米軍を乗せてまた上がる。舞台のど真ん中に舞台の1/3は占めるんじゃないかというような大きなヘリコプター。存在感という言葉の範疇を大きく逸脱した大構造物。ヘリコプターの正面が舞台中央で客席にドーンと向かう。プロペラも舞台いっぱいという感じで廻っている。バタバタの中で、キムは取り残されてしまう。米兵はかくして安全な偽善の世界へ。キムは、自分が子供を宿していることを知る。 前半最後、キムが幼子に歌う「命をあげよう」は圧巻。たぶんこのミュージカルのヘリコプターシーンと対とでも言うべきハイライト。後年、死の前、本田美奈子が病室で歌ったアカペラのアメイジングブルーの歌声にある程度上書きされてしまっているかも知れないが、忘れ得ぬ歌唱。 休憩後、何か舞台進行の雰囲気が違う。そういえば、場内アナウンスで、「本日は録画を行うため、進行中スタッフが移動することがあるかも知れません。観劇の妨げになることがもし起これば予めお詫び申し上げます。」てなことを言っていた。それらしき人たちが後半にはいなくなった?淡々と舞台進行。キムがまた歌う。あれチョットチョット、歌っているのキムではないのではないか。キムの演者が交代した?本田美奈子の怪我が思い出され、また前半の強烈なキムを演じて本田美奈子倒れちゃった?日本人ミュージカルタレントが一生懸命キムを演じている。でも、兎に角キムじゃ無いみたい。 暫くしたら、この違和感は次第に解消して、次第にキムと米兵の米国家庭とのやりとりにそれなりに集注でき、最後に衝撃的なキムのピストル自殺シーンへ。 後から、この記事を書き始めてから、宿主の古手帳をいろいろ探して、1993年のものを発見。そこに書いてあった。ニャンスケ一行と連れ合いが観たのは、1993年2月11日であった。誰が主役をやったのか上演記録はないかと更にネットを見ていると、Amazon他,古い音盤の記録に、ミス・サイゴンのライブ版(EMIミュージックジャパン、東宝、帝劇)が収録された日(収録日は1993/2/11-13)と出ていた。もしかして、あのミス・サイゴンの前半の舞台はライブ収録のための格別に精が籠もったものだったのかもしれない。 25年たっても忘れられない舞台の話の一つでした: 舞台パンフレットのテキストコピー: ミス・サイゴン Miss Saigon 1992年4月~1993年9月 帝国劇場 市村正親 本田美奈子 入江加奈子 笹野高史 岸田聡史 安崎求 鈴木ほのか 石富由美子 園岡新太郎 今井清隆 山形ユキオ 山本あつし 留守晃 岡田静 北村岳子 他 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.07.30 13:58:22
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