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カテゴリ:我の人間関係
kinoたん(新着おきに参照)のリクエストです。
(台湾ネタは続きそうなので、忘れないうちに) ***ああ、お手伝い生活**** 高校卒業後、すぐ親戚の家で働くことになった。 職業は「住み込みのお手伝い」。 おばさんは飲食店を何軒も経営していたので、私は子守謙家事手伝い。 まだ18歳、子どもを連れて公園に行くと「お子さんですか」と聞かれる。 聞かない人もいるが、目がそう言っている。 そんな暗い青春時代、行くところもないので、月に一度の休みには献血に行った。(マジ暗いじゃん!) お手伝いと言っても、ラーメンとカレーしか作れなかった頃、出汁の取り方、洗濯の仕方(家の人に好みで二層式洗濯機)、アイロンのかけ方、恐らく、主婦よりプロフェッショナルな家事をこなしていた。 闇はどこまでも続く・・朝7時から、夜12時までホットする間もなく独りぼっちの連続。(おかげで、今は一人にはなれないよ) 私の他にお掃除専門の人が来ていたから、掃除だけは免れてたのが幸いだったかも。 お~い!話が暗いぞ! 2年半が過ぎ、kinoたんがアメリカに行ってる頃だろうか。(推定) 私の仕事ぶりが認められて、昇格することに。 といっても、おばさんの経営する料亭の仲居さん(ウェートレス)。 だが、好待遇の上3LDKマンションの7階にタダで住むことに。 おまけに、掃除の依頼もあって二足のわらじを履くことになった。 お陰で、貯金三昧、株も買ったし投信もした。(利益を上げてた) 旦那と出会うまで、この生活が続いた。 夏は公園の花火を見ながらショパンを聴いて、冬は光のページェント(仙台)を楽しみ親友と談話、大好きな本を買っては読みふける生活☆。とっても、充実した3年半だった。 それから、ぴすけっとの人生に「遊んだ」記憶はないんだ。 誘われてもついて行くだけ。つまんないって言えばつまんないんだろうけど、その反動が今来てるから・・。 落ちが付いたようなので、終わります。<(_ _)> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月28日 02時52分58秒
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