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カテゴリ:歴史論
歴史を語ります。兼好法師のように。人間に絡めて書き綴りました。自分の考えを思いつづって書き殴ってみました。歴史はどうして解釈が違うのでしょうか?
答えは人は時代の子なので当然解釈は違います。違わないはずがないのです。人は同じになるように作られていませんので。 尤も教科書でも出版社で記載の違いがあります。私も普通の史観から少しずれていると伺います。しかし歴史にはっきりしたことは言えます。 私が主張するのは以下になります。歴史は同じテンプレートを何度も繰り返しているのと同じです。といいますのは、社会の発展は決して人の幸せに直結しません。 中国の思想家の老子は大道廃れて仁義あり、と言葉を残しています。同じ韓非子も、政治は洗髪をするようなもので髪は抜けるが髪を洗うのをやめるわけにはいかない、とも。 アリストテレスは人間は社会的動物もしくは政治的動物と称しています。というのは我々は教育を学校や家庭のしつけとして叩き込まれます。 叩き込まれるのが嫌で勉強が嫌いになったりしますが経験で物事を覚えていくので嫌でも回避できません。人間は万物の霊長と称していますがもとは猿の一派から進化した動物です。 畜生と蔑んで動物を称したりもしますがもとはどんな存在だったかと思うとえばれないと思います。経験と教育としつけから人間は作られるのです。 だから進化の法則は経験から来たものといえるでしょう。筋肉が発達するように頭を悩みに悩んで駆使して人間は脳が発達したと伺います。 もちろん身体も使わないわけではないのでこの先は脳までにはいかないと伺いますが発達するでしょう。人間は動物と違います。心を持っています。意識でしょうか。理性でしょうか。 社会において常識や倫理観、誠実さは必須です。隣人がものを取ったりいきなり殴ったりでは困ります。だから嫌なことは人間の心を作るのでしょう。してはいけないと自戒して。 社会の発展にもつながります。社会は人間の常識を共有した共同体と私は考えます。オオカミの群れはオオカミの社会です。 人間の社会と比較すれば文明社会ではないもの老子の言葉の小国寡民をもっと小さくした社会でしょう。社会のない社会は幸せなのでしょうね。文明社会の煩いがないのですから。 ただ医療や栄養状態が満足とも言えません。老子の言葉はここにあります。韓非子は政治には犠牲者がつきものといいたかったのでしょう。尤も人はそれぞれ価値観が違います。 同じ価値観でも人によって多かれ少なかれのずれはあるはずです。動物だった名残なのか人間は群れることを好む傾向があります。あまり動物から進化していないと伺います。 何万年も歴史があるというのに。社会の発展や物事の便利さは人間を苦痛から解放してくれます。ただ人間はそれだけ苦労のハードルが下がるので苦労があった世代よりも苦労が少ない状態になるのです。 だから世代の断絶が起きます。上の世代は苦労を主張して下の世代は苦労が知らないので勝手な言葉を吐きます。歴史はこのような繰り返しです。 史実を挙げれば、貨幣経済の発達、農耕、産業革命、情報革命はみな同じテンプレートの繰り返しです。貨幣経済の発達で債権者が出でました。農耕から水田の争いが起きて戦争が起きたのです。 産業革命は労働者と経営者の争いを生みました。情報革命は今、情報戦争が蔓延っています。人間は何処へ行くのでしょうか。人類の次はどんな存在になるのでしょう。 猿人、原人、ネアンデルタール人、クロマニョン人、となりました。猿人は何を考えていたのでしょう。原人は何を考えていたのでしょう。今の私と同じことを考えていたのかもしれません。 保証はないですが。人間の歴史も私もこれだけ考えて世界平和がすっ飛んでこないのを悔やみに思います。まだまだ歴史の研究が足りません。また史実を調べなくてはいけません。 ああ、そう思うと苦痛です。経験値がどんどんたまって行きますね……。何に進化するのでしょう? 戦国に咲いた四十一人の姫君 賢い貴女は姫に学ぶ【電子書籍】[ 牧野新 ] 戦国ミステリー 逃げる家康・人生最大の赤っ恥【電子書籍】[ 牧野新 ] 太平洋戦争だけをいじめるな! 世界が平和ならこんな詩なんて書かない [ 牧野新 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月09日 13時33分14秒
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