|
テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:うつ壮絶な体験
登社拒否
前のところでも書きましたが、やはり仕事はストレスでした。何が辛いって誰にも教えてもらえず、本を調べてもわからない、仕事は締め切りがあるという状況でした。「教える」といった社長は口下手で教え下手なのです。 これまでどの職場でも有能(自分で言うのはなんですが)と扱われてきました。それに固執はしません。現実に仕事ができないのですから。しかし、教えてもらえば分かりますし、できるようになります。このジレンマからある時期登社拒否になりました。 もちろん仕事のない女性がたくさんいるなかで、時給が下げられたとはいえ、日々の仕事はあるわけですから、恵まれていたほうでしょう。社長も人柄はやさしい人でした。仕事を離れれば、楽しい面も持ってます。 私は仕方がないから、朝、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と唱えて会社に向かいました。それから自分に向かって「○子がんばれ」と。 信頼する和田氏にも「私、登社拒否なんです」と相談しました。すると「行くところがあるだけいいよ」と言われたのです。そうか、そうだよなと気を取り直し仕事を続けました。私が考えていたよりずっとストレスだったことは後になって分かったのです。 実は編集も校正(文章のまちがいなどを直す)もほとんど一人でやりました。校正は、一般的には校正のプロがやります。それを私がやるのは重圧でした。名前の間違えや、数字の間違え、文字の間違えをチェックするのです。非常に苦手でした。 こういったことに加えて出版界の不況といったことがありました。どこの会社も資金ぐりに苦労していたのです。それでも社長は逆境に強い人でした。なんとか持ちこたえていました。しかし、社内の雰囲気はけっして明るいとはいえません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|