昨年12月13日の衆院外務委員会における麻生外相の「北方4島を日露両国で面積等分する」発言に関し、政府は24日の臨時閣議で従来の「4島返還」の方針は変えないことを確認した。ところで戦前は日本領だった千島列島は1951年のサンフランシスコ講和条約で日本の領有権が放棄され事実上ソ連領となった。
しかし歯舞、色丹は日本固有の領土と主張する日本は、4年後の1955年に始まった日ソ交渉で「2島返還」の交渉を進めていた。ところが日ソ接近を恐れた米国は「2島返還で日ソ平和条約を結ぶのなら米国は沖縄を日本に返還しない」と圧力をかけてきた。そこで日本は途中から「4島返還」を主張するようになったため日ソ交渉は決裂した。
その後、対米追従に凝り固まった外務官僚はロシアが「4島返還」に応じないことを承知でマスコミや右翼を使い「反ロシア」を扇動し日露接近を意識的に避けてきた。一方北海道出身の鈴木宗男議員は、まずロシアと和平条約を結び経済関係を強化した方が地元の発展にとってプラスと考え「2島先行返還」でロシアとの交渉に臨もうとした。
しかし外務官僚は「日露接近によるシベリア開発」は米国の機嫌を損なうと考え、現実的交渉を進めようとした鈴木を失脚に追い込んだ。また小泉政権も対米追従、外務官僚任せであったため北方領土問題については何の進展も無かった。今回、政治家主導を進めたかった麻生外相の提案も、結局外務官僚に押さえ込まれたのかもしれない。
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最終更新日
2007年01月05日 09時46分06秒
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