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すこし前になりますが、「宮沢賢治の青春」と「ふたりの銀河鉄道」という本を読みま した。 ふたつとも、賢治の高校時代に出会った、親友保坂嘉内がいかに賢治の人生や作品に深 い影響を与えていたか、という点に着目した本でした。 これまでも、賢治の童話を読むときの感じていた賢治の人生の禁欲的なところ、深い深 い孤独感、激しさ、に不思議なものを感じていました。 今回、本を読んで、その謎が解けたような気がしました。 保坂嘉内(カナイという名前は神主でもある保坂の父がニライカナイからとってつけた 名前だとの紹介もあって、あの時代にめずらしい)は、地主の息子として生まれ、農業 よりも神道にうちこむ父とは違い、農業を愛し、農村のこれからのことを考えているよ うな、早熟な子供だった。中学時代に、校長(あの北海道開拓のクラーク博士の教え子 )や、天文学に詳しい英語教師と親しくすごし、長野に住みながら、東京まで芝居見物 に出かける才気煥発、早熟で大人びた少年だった。 岩手農業高校の寮生活でふたりは出会う。賢治は嘉内より、1学年上で、学業優秀な特 待生だった。いつも穏やかな賢治は、嘉内の魅力、まぶしさにすぐにひかれて友達にな る。 今風にいえば、ソウルメイトと出会ったのだ。 魂のそこまで共感しあい、ふたりで出かけた夜の登山で人生の夢を語り、みなの幸せの ために生きよう、と誓うふたり。 けれど、危険思想の持ち主と学校側からマークされた嘉内は退学になり、賢治とは、手 紙のやりとりになっていく。 賢治は法華経の信者として、みなの幸せを祈り生きていくつもりだったが、嘉内は村人 の幸せのために村に文化交流の場をつくり、ともに汗を流していこうと思っていた。食 い違っていくふたり。 そして、決定的な別れ。「我が保坂嘉内、我を捨てるな」という、叫びが痛々しい。 あの賢治の童話の数々は、法華経の信者として書いた、といっているが、ただひとり、 保坂嘉内へむけて書いたのではないか、銀河鉄道のジョバンニが賢治でカムパネルラが 嘉内。そうとらえると、すんなり理解できる。 「カムパネルラ、ぼくたちずっといっしょにいこうねえ。」とジョバンニがよびかける が、ふいにカンパネルラはいなくなり、銀河鉄道にジョバンニはひとり取り残される。 賢治の生き方は嘉内と出会い深い喜びと別れの苦しみ、その後の孤独抜きにはなかった 。 よだかの星も銀河鉄道の夜も生まれなかった。 読み終えて、銀河鉄道の夜をまた読み返したくなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.07.13 15:26:35
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