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2009.08.02
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カテゴリ:お出かけ
昨日、レストランの近くで「加藤清正公の墓」という看板を見つけた。


はぁ? 加藤清正? あの清正?
清正がどうして鶴岡に? 熊本にあるんじゃないの?


加藤清正と言えば、肥後熊本藩主であり、熊本城、名古屋城、大阪城の築城、
朝鮮へ出兵、虎退治をしたことで有名である。


だから、きっとこれは義経伝説みたいに、あちこちに出没した形跡があるとか、
キリストの墓が青森県にあるとか、モーゼの墓が石川県にあるとか、
そんな根拠のないことだろうが、ちょっと見てみるかと行ってみた。


そしたら、あら、まあ、本当に加藤清正のお墓ではありませんか。


では何故墓が山形県に?という疑問なのですが。


熊本で没した清正公の息子の加藤忠広公が、
突然幕府から身に覚えのない罪をかけられ、出羽の国庄内に配流。
その時、生母正応院、つまり清正公の奥様と一緒に、
父の遺骨を密かに熊本から持って来たのでした。



大正時代に熊本から発掘要請があったが断っていたとか。

昭和24年、天澤寺を発掘調査をしたところ、
清正公の兜が出土。 九州肥前弓野焼の骨壷に、
清正公の亡くなった日付と戒名が刻印されたものが発見されたのでした。



凄いと思ったのは、正応院の主治医を、
あの時代、九州肥後から呼び寄せているところです。
その主治医もこの地で没し墓もありました。
忠広公の家臣も多く葬られている。



400年ほど、ずっと庄内の地に眠っていたわけですね。
知らなかったわぁ。


今では、熊本から多くの参拝者が訪れるそうです。
熊本県民の清正公に対する思いは熱烈なのですね。


鶴岡市のはずれ、田舎のたんぼの中のお寺には、
熊本、「加藤神社祭り」のポスターが貼ってありました。




お墓のある天澤寺も、藤沢周平の生まれ育った所の近くでした。



            (お寺の入口の門柱に表札のようなものが・・・)





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最終更新日  2009.08.02 18:45:03
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