カテゴリ:お出かけ
4日目(11月1日)。
瀬戸内海を渡る船は夜中に三つの大橋の下を通過する。 23時ごろ来島大橋を、1時ごろ瀬戸大橋を、4時40分ごろ明石海峡大橋を。 明石海峡大橋だけを見るために起き出し、暗闇の中で見上げた。 数年前、娘と姫路城へ行く時、舞子の浜で途中下車して明石海峡大橋を見たことがあった。 エレベーターで上がって橋の中を歩いたことがある。恐怖の場所だった。 今回はその橋の下を通ったわけである。 6時、泉大津に到着。 バスが走り出してすぐに、大きな美しい太陽が昇ってきた。 綺麗な赤い太陽が葛城山方面から顔を出し、この日のお伊勢参りを祝ってくれるかのようだった。 大阪でこんな綺麗な朝日を見ることになるとは思ってもみなかった。 船ではほとんどの人が眠れなかったようで、バスの中で寝てる人が多く、その様子を見てバスガイドさんが、 「九州のお客さんは元気ですよ。絶対寝ないの。それにみんな勉強してくるし。違うわねぇ」と。 東北の客はガイドの話も聞かないで寝てるし、歴史の勉強もしてこないと言いたかったのか。 ちょっと心に火が着いた。もっと歴史を勉強せねば。 伊賀の国を通り、伊勢神宮下宮に着く。 伊勢神宮は平成19年10月に初めて参拝している。 あの時は個人旅行で2泊3日を伊勢・鳥羽で過ごした。 まだパワースポットと騒がれる前だったと思う。土曜日だというのに人も少なかった。 当時の私は、お伊勢参りや四国巡礼などは年寄りがするものだと思っていて無関心だった。 ほとんど知らなかったある時、誰かのブログにこんなことが書いてあった。 「前回の遷宮までお社が建っていた敷地、つまりを古殿地を見ないで帰る人が多い。この敷地が大事です。是非見て下さい」 初めて知る「古殿地」という言葉。 その頃からモヤモヤと気持ちは伊勢へと傾き、半年後に神宮の鳥居をくぐっていた。 なんと清々しい森だろう。 こんな凄い所があったのに、日本人として知らなかったとは・・・。 次は遷宮後の新しいお宮を見るためにまた必ず来る、と自分と約束したのだった。 まさか遷宮の一カ月後に行くことになるとは思わなかったけど。 しかし、人、人、人の波と団体行動の不自由さで、下宮も内宮もなんだか慌ただしく参拝し、ゆっくりじっくり建物を見ている暇もなかった。 以前のように清々しさや神々しさを感じる余裕がない。 ああ、こんなはずではなかった・・・・・。とても残念だ。 でも、両方の敷地に建物がある時に参拝できたのも貴重な経験だと思う。 導かれて遷宮の年に神様のそばに行けたことに感謝である。 きっとこのにぎわいは、かつてのお蔭参りのようなものなのだろう。 心残りのまま神宮をあとにする。 旅も終わりに近づいて来た。 信楽を通り、バスの窓から比叡山をチラッと見て、京都タワーもチラッと見て伊丹空港へと。 この旅で通過した県は、宮城、兵庫、岡山、鳥取、島根、広島、山口、福岡、大阪、奈良、三重、滋賀、京都。 バスツアーの凄さを改めて感じた。 団体旅行は自分には向かないかもと思いながら、長所と短所を理解するには良かったのかもしれない。 出雲大社と伊勢神宮。 思えば今年の元旦は明治神宮から始まり、皇居一般参賀で二重橋を渡った年だった。 日本人でよかったと思う。 蛇足・・・・・ さださんは、11月2日に出雲大社平成の大遷宮奉納公演ということでコンサートをしていますが、実は、伊勢神宮式年遷宮に臨時出仕の一人として、10月1~2日に奉仕しています。 白と赤の神主さんの衣装に身を包み、烏帽子のようなものをかぶった格好の写真が今月の会報の表紙でした。(笑) 殿内の宝物もすべて新しくして納めたわけですが、その宝物が入った40kgくらいの辛櫃(からびつ)を担いで、しずしずと1kmくらい歩き、正殿の床下に運びいれるのが、1日目のまっさんのお役目だったそうです。 2日目は、正宮の内院の庭燎を守る役目。 汚れのない火を提灯にお預かりして、その火で杉の枯れ枝に火をつけて、決して火が消えないように3~4時間番をする。 闇の中で庭燎の灯りだけで正殿が美しく見えたそうです。 とても貴重な経験をしたようですね。 で、明日はさださんのコンサートに行くので、そのような詳しい話を生で聴いてくることになるでしょう。楽しみです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.11.12 17:13:45
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