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お買い物マラソンに… New! 料理長52歳さん

2010年09月16日
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カテゴリ:食事
 和食、特に外国人から見た場合の日本の食というと、寿司、天ぷらという答えが返ってきそうに思えます。それだけ日本を代表する料理の一つとなっている天ぷらですが、他の和食と比べると調理に多量の油を使うなど、少々異色の存在のようにも思え、いろいろと調べてみると意外と不確かな部分を多く持つ事に驚かされてしまいます。

 すでに「テンプラ」は世界の共通語ともなっていて、小麦粉を卵や水で溶いた衣を魚介類や野菜などのさまざまな食材に付け、油で揚げるという料理は広く親しまれています。日本を代表する料理でありながら、天ぷらの発祥の地は日本ではなく、室町時代にポルトガルから伝来した料理という認識も広く定着しています

 しかし、平安時代にはすでに米粉を衣にした揚物料理が存在し、鎌倉時代には食材の制限から脂質が不足しがちな精進料理の中で、脂質(油分)を摂取できる料理として食されていた記録が残されていて、室町時代にポルトガルから伝来した物は天ぷらというより、今日のフリッターに近い物である事が考えられます。

 天ぷらという名前に関しても初めて文献に登場するのは江戸時代、寛文9年(1669年)の事で、天ぷらの語源に関しても諸説があり、定かにはなっていません。

 有力なところではポルトガル語の「料理」を意味する「テンペロ」や、中国料理の「塔不刺(とうふら)」などが訛ったとするものがあり、天ぷらを漢字で表記する際の「天麩羅」については、江戸時代に入ってから山東京伝が大阪から魚の揚げ物を売りにきた業者のために名付けたとされています。

 天麩羅の「天」は天竺を指し、麩は小麦粉、羅は薄い衣を指しているとされ、天竺浪人がぶらりと江戸へやって来て、小麦粉で作った薄い衣を付けた料理を売るという製品コンセプトを表していました。

 その後、天麩羅の麩が婦に置き換わり、天婦羅と書かれる事も見られるようになり、今日に至っています。元となった天ぷらについては、有力なポルトガル説以外にもスペインで獣の肉を食べる事が禁止され、代わりに魚の揚げ物を食べる「天上の日」を意味するテンポラや、手早く調理される事から「早い」を意味するテンペラ、調理が伝えられた場所が寺院であった事から、寺院を意味するテンプロなども語源として見られています。

 天ぷらの名前が一般化する前は、ごま油で揚げられる事がほとんどであった事から「ごま揚げ」の名前で親しまれ、串に素材を刺して揚げられた物を客が手に取り、脇に置かれた天つゆが入れられた丼に漬けて大根おろしを添えて食べていた記録が残され、今日の関西名物の串揚げに近い存在であった事が伺えます。

 江戸の中期には串に指した物は次第に見られなくなり、今日のように箸で食べるスタイルが一般化し、天ぷらの名前も広く使われるようになってきますが、当時、天ぷらというと魚介類を揚げた物に限られ、野菜を揚げた物は「精進揚げ」と呼んで区別されていました。

 衣に関する区別も存在し、卵黄の比率を多くして黄色みを強くした天ぷらを「金ぷら」。卵白だけを使って白く揚げた物を「銀ぷら」と呼ぶ例も見られています。

 徳川家康の死因とされたり、江戸城内で天ぷらを揚げる事が禁止されていたりと、食文化以外の部分でも多くの興味深いものを感じさせる天ぷらですが、料理という点では極めてシンプルで、シンプルさゆえの難しさに溢れた料理という事ができるのかもしれません。





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最終更新日  2010年09月16日 07時40分00秒
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