健康コラム

2013/04/01(月)08:14

桜への想い

健康(245)

 今年は例年になく暖かい春となり、早々に桜が満開の時を迎えてしまいました。各地で予定していたイベントの日程が間に合わないという声が聞かれ、南阿蘇も毎年開かれる桜祭りの頃には葉桜となっているものと思われます。  それでも日程を決め、村の行事として予算も計上している事から祭りは実行され、花もないのに桜祭りという不評を受ける事になるのかと、行われる前から少々気の毒になっています。  今では花見といえば桜の花を愛でる事となっていますが、当初は桜ではなく梅の花が愛でられていました。宴を伴う行事としての花見の始まりは奈良時代にまで遡るとされ、当時、中国からもたらされたばかりの梅の花を愛でる会となっていました。  その事を裏付けるように万葉集に収められている歌のうち桜を詠んだものは40首ほどである事に対し、梅について詠んだものは100首と多くなっていますが、後の時代に編纂された古今和歌集ではその数が逆転し、同時に花というと桜の花を指すようになっている事が伺えます。  徒然草にも片田舎の花見に関する記載があり、鎌倉時代の末期から室町時代には中央の公家だけの催しではなく、地方都市にも広く花見が普及していた事が判り、江戸時代に入ると庶民の行楽として定着する事となります。  花見や開花宣言となると桜の代表としてソメイヨシノに注目が集まります。植えられた地域の気候に左右されますが、同じ地域や気候帯に植えられたソメイヨシノはほぼ一斉に開花する事が知られ、その理由としてソメイヨシノが種によって増えた家族ではなく、接ぎ木によって増えたクローンであるという事ができます。  また、クローンである事から全国的に一斉に寿命を迎えつつあるともいわれ、場所によっては他の品種の桜に植え替えるなどの措置が採られ、その際、品種の違いによっては花の時期がずれてしまう事もあり、花見が行える時期を長くしているともいわれます。  桜の魅力の一つに、さっと潔く散ってしまう儚さを上げる事があります。人の手によって全国に植えられたソメイヨシノが一斉に寿命を迎えてしまう。そんな儚さを思うと、残り少ない花見の機会を逃さないようにとも思えてきます。

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