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お買い物マラソンに… New! 料理長52歳さん

2013年06月20日
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カテゴリ:食事
 日本では8世紀には、すでに「蘇(そ)」と呼ばれる乳製品が作られており、平安時代の中期に編纂された律令の施行を細かく記した延喜式に、その製法が記されています。仏教では「牛より乳を得て、乳より酪を得る。酪より生蘇を得て、生蘇より熟蘇を得る。熟蘇より醍醐を得る」として乳製品の最高峰に「醍醐」なるものの存在を記しており、蘇が作られていた当時、醍醐も作られていたと考えられていますが、今ではどのような物であったのかは定かではありません。

 それだけ古くから乳製品に親しんでいた日本人ですが、いつの間にか牛乳や乳製品を利用する習慣は廃れ、改めて接するようになるのは明治時代を迎えてからの事となっています。

 牛乳の量り売りからはじまり、明治2年(1869年)のアイスクリームの国産化、明治5年(1872年)にはバターの製造もはじまっており、乳製品は徐々に普及していくのですが、乳製品の中では比較的馴染みにくいヨーグルトについては、大正時代に入ってからの事となっています。

 それだけ後進的立場にあった乳製品と日本との関わりですが、意外にも日本発の乳製品が存在します。それは乳酸飲料で、日本において発明された後、世界中へと広まっていっています。

 乳酸飲料は牛乳などを乳酸菌や酵母などによって発酵させて独自の酸味を出し、甘味料や香料、果汁などを加える事で飲みやすくした飲料で、発酵乳などの飲むヨーグルトとの大きな違いは含まれている乳脂肪分や無脂乳固形分と呼ばれる牛乳から水分と脂肪分を除いた成分の割合とされます。

 乳酸飲料の製品化は大正8年(1919年)に遡り、商人であった三島海雲の手によります。日本の商品を北京で販売する貿易商を営んでいた海雲は、日露戦争の勃発によって軍馬の調達を行う必要が生じた事から、モンゴルの奥地に入り、そこで甘酸っぱい味がする発酵乳を振舞われています。

 海雲が出会った発酵乳は「ジョウヒ」と呼ばれるもので、生クリームのように濃くした牛乳を2、3日かけて発酵させ、砂糖を加えて飲みやすくした物で、モンゴルでは砂糖は貴重である事から、海雲が大変歓迎されていた様子を伺う事ができます。

 その後、戦争の特需もあり商売を拡大していた海雲ですが、辛亥革命で清朝が滅ぶと状況が一変し、大正4年(1915年)には日本へ帰国しています。

 帰国後、新たな商売を模索していた海雲ですが、その際、頭を過ぎったのがモンゴルで出会ったジョウヒで、あの美味しさを日本に紹介すれば評判となるに違いないと考えて商品化を行っています。

 その当時、ヨーグルトの存在が雑誌などで紹介され、都会のミルクホールでは販売も行われていましたが、あまりできの良い物ではなく、実際に海雲が試食しても美味しと思えなかった事も日本版ジョウヒを売り出す自信に繋がったとされます。

 そうして日本版ジョウヒは「醍醐味」と名付けられて発売され、好評を得たのですが、牛乳から得られる生クリームの量が全体の1割と少なく、原料不足のために販売中止に追い込まれてしまっています。

 そこで海雲が目を付けたのが醍醐味を作った後に大量に残される「脱脂乳」で、そのまま捨ててしまうのではなく再利用する事で製品化はできないかと、東京帝国大学衛生学研究室に通って乳酸菌について学びました。

 乳酸菌と脱脂乳によって「ラクトーキャラメル」という製品を完成させますが、湿度が高い日本では夏場になるとキャラメルは溶けてしまう事から、消費者からの大量のクレームとなり、ラクトーキャラメルは大失敗となってしまいます。

 たび重なる失敗に倒産の危機を迎えた海雲は乳酸飲料の開発に専念する事に決め、細々と研究を続けます。そんなある日、海雲と共に醍醐味の開発から関わってきた工場長の片山吉蔵が脱脂乳に砂糖を加え、そのまま一日放置して偶然にも美味しい液体ができている事を発見し、海雲に伝えます。

 何度も試飲しながら海雲は、当時、ドイツやイギリスの学会で盛んに提唱され、日本でも鈴木梅太郎によって必要性が広められていたカルシウムを加える事を思い付き、乳酸発酵した脱脂乳にカルシウムを加えて製品化する事にしました。

 製品化に当って海雲は、カルシウムが加えられている事が判るように「カル」という言葉に、サンスクリット語で「醍醐味」を意味する「サルピルマンダ」を合わせて「カルピル」と名付けましたが、何とも語呂が悪く感じられ、散々考えた挙句、「カルピス」の製品名を思い付きます。

 カルピスという製品名については、高名な作曲家の山田耕作に相談しに行き、「それは良い」といわれた事から自信を深め、1919年に世界に先駆けた乳酸飲料の発売となっています。

 カルピスの製造に当っては、いかに脂肪分を上手に除くかが重要とされ、今日ではそうして除かれた脂肪分はバターとして製品化されています。料理やお菓子作りをする人の間では、質の高さが評価されているバターですが、本来ならば醍醐味として製品化されていたのかもと思うと興味深くも見えてきます。





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最終更新日  2013年06月20日 07時48分46秒
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