前回・26日の日記の続き。浅川ダムの建設予定地に行ったのは9月17日。この日の午前中は、浅川ダム計画が持ち上がった背景を確かめるためゼミのメンバーと共に回ることとなった。
私を始め、教授といったゼミのメンバーは、ガイド役の初老の男性についていく。そしてしばらくして着いたのが次の写真がある場所である。ちなみにバックは長野新幹線の車庫である。豊野町付近では延長工事が進んでいた。
これは過去に長野県北部(善光寺平)で発生した洪水の際の、押し寄せてきた水の高さを表している。一番下にあるのは、1911年8月5日の水害のもので、
ゆうに2メートルくらいはありそうだ。ちなみに、一番てっぺんにある表示は1742年8月2日のもの。
とんでもなく高い水位だったことが分かる。もちろん千曲川や浅川の氾濫によるもので、昔の民家では救命ボートも用意されていたほどであるから、よほど水害に警戒心を持っていたことが想像できる。
この表が立てられているのは長野市の北部・赤沼地区。
「沼という漢字からも分かるように、
この地域は昔は沼地で水に弱い土地だったのだ。そう、
赤沼地区にとって浅川ダムは必要なダムと考えられてきた」
とガイドの男性から説明を受けた。私は、なるほどな、とうなずいてしまった。
しかし、2000年10月に知事が吉村午良氏(故人)から田中康夫氏に交代してからは「脱ダム宣言」のあおりを受けて、浅川ダム計画は凍結。
それに関連して長野新幹線の延長工事のための用地買収交渉もストップしてしまった。なんとしてでも長野新幹線の線路を直江津まで伸ばさなければならないのだが、
2006年9月に知事が村井仁氏に交代したら、用地買収交渉は再開されたそうである。「やっぱりな」という感じだ。
しかし最近の研究では、浅川ダムが完成しても水害は完全に防ぎきれないという説が強く、浅川ダム計画反対の根拠にもなっているそうだ。
次に我々が向かったのは、長野新幹線(正確には車庫に向かう回送線)、JR信越本線、そして長野電鉄本線の3路線が交差する地点。ここは現在では線路の下に浅川が流れている。
しかし新幹線の工事が始まるまでは、
浅川はなんと信越本線の線路の上を流れていた。これを天井川と呼ぶ。これは浅川が上流から流れてくる土砂を多く含んでいたからであり、中下流のこの辺りで土砂がたまり、高さが高くなった。最終的には線路より高い位置にあるという異常な状態となってしまった。
改修前の信越本線。あさま色の189系が走る。
トンネルの上を川が流れているのが分かる。これが
天井川と呼ばれる現象だ。
これが工事後の風景。
浅川は11メートルも下に掘り下げられたそうだから、
よほどの難工事だったことが分かる。
ちなみにかつて浅川が流れていた土手跡は、長野電鉄本線に沿って、散歩道のような状態になっていたが、石がゴロゴロしていて安心できない(苦笑)。