8日の日記では、浅川ダム建設予定地の写真を紹介した。道路が荒廃していた様子が見て取れたと思う。
総論をまとめてみよう。
そもそも浅川ダムは1971年に建設計画が持ち上がった。その後、工事着工に向けての予備調査が行われたのだが、2000年の長野県知事選挙で田中康夫氏が当選したため、浅川ダムの先行きが不透明になった。この知事選挙では、現職の吉村午良氏が引退し、代わって共産党を除く県議会での各政党が推薦する池田副知事が後継候補として選挙を戦った。しかし当選確実といわれた池田氏が敗れたことは、文字通り長野県内に激震を与えたのだった。2001年2月、田中知事による脱ダム宣言により、浅川ダムの工事は凍結された。
しかし2006年8月の長野県知事選挙では、郵政造反組であり自民党を離党していた村井仁氏が野党統一候補として出馬し、当選した。その後、村井知事は浅川ダム建設についてゴーサインを出すことに舵をきった。
浅川ダムは当初高さ59メートルの計画だったがその後、治水専用ダムとするために高さ53メートルに修正された。工事に17億円の予算を盛り込み、来年にも工事が着工されるのだ。しかしこの浅川ダムは、長野市北部の市街地の近くに建設されるために住民の不安が大きいのは当然である。また、この辺りは地滑りが度々起きているので、「このような危険な場所にダムを作るのはどうなのか」という意見が出ている。
また、地滑り防止エリアに付け替え道路があるために、それも危険極まりない。その道路はそもそも長野オリンピックの際に、スキーなどの開催コースに直結させるために作られた道路である。つまり先に付け替え道路を作って、その後にダムの中心点の位置を決めるという、矛盾したことをやっていたのである。
まとめとして、私も「これでいいのだろうか」と本気で思った。また、長野市だけの問題だと思うのに、それを県知事選挙で問うたのだから、広い長野県、特に中南部の県民は浅川ダムについての関心は薄いと思う。そう考えたら長野市民の思いは犠牲にされていないだろうか。ますます心配になるばかりだ。
私たちはその後、山の中にあるカフェでとりあえず休憩。夕方4時過ぎなのに、かなり涼しいことが良かった。長野はいいなあ・・・と思った瞬間だった(山の中だったけど)。休憩後は宿に戻るために松代に戻る。途中、ガイドさんと別れるのでゼミ仲間のみんなでお礼の挨拶。本当にありがとうございました。
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Last updated
Oct 11, 2008 10:18:45 PM
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