9月18日。ゼミ合宿最終日。朝7時少し前に起きる。実は16日夜、17日夜と、2日連続して酒盛りをしていたのだった。深夜0時過ぎまで起きていたのだから、かなり疲れ果てていた。そのため私としては遅めの起床だったと思う。
朝食後、出発時間までに旅館の部屋の中の片付けをし、荷物をまとめる。9時ごろには全員が荷物をまとめ終える状況になっていた。
松代大本営の近くにある住宅街。手前には皆神山が見える。
長野電鉄の象山口駅に近い、のどかな田舎町といってよい。
本題。この日、我々ゼミメンバーは長野市の郊外・松代地区にある、
松代大本営を見学することになった。
松代大本営を私はこのゼミ合宿で初めて知った。松代大本営とは、1944年11月11日から日本軍によって建設が始まった、本土決戦に備えての大規模な防空壕の集合体である。
私たちが見学した象山地下壕には主に、NHKといった報道機関や政府機関の一部が東京から移転する予定だったという。
簡単に言えば、臨時首都の造成である。なぜ長野市の郊外が’臨時首都’に選ばれたというと、次のような理由らしい。
・太平洋からも日本海からも遠く離れている内陸であるから(これが第一条件)
・岩質が硬かったから
・長野県の別名は信州。「神州」とも読めるために縁起がよかったから
以上のような理由で、松代大本営が建設されたのだ。
松代大本営を理解するための観光客向け施設。
地元の高校生たちの協力によって、たくさんの貴重な資料が集められた。
大本営の観光用の入り口。本来の出入り口の関係でいうと、ここは出口に相当するらしい。
地元の私立高校の社会科教師がガイド役として協力してくださった。ありがとうございます。
実際に中に入ってみると、ゼミのメンバーのほとんどは半袖だったのだが、かなり涼しく感じた。そして中は薄暗い。今でこそ観光用に電球が灯っているが、
建設された当時はかなり暗かったそうである。もはや手元にカンテラを用意しないと少し前も全く見えないような状況だったそうである。
1980年代になってこの大本営が明らかになったのだが、ガイドさん曰く、発見された当時は明りもなく、ただ暗かったという。
明りなしでこの洞窟の中を歩くのは本当につらい。
松代大本営の中の様子。手前の通路は立ち入り禁止となっている。
このようなところで朝鮮人の方々が強制労働をさせられていたのだ。(続く)