就職活動をしてて思うことがある。それは・・・
自由は怖い!
ということだ。
どういうことか。それは、自分の将来を自分で決める自由がある。憲法で保障されたいわゆる幸福追求権のひとつだ。しかしその側面には、自分の人生のゴールを自分で決めなければならないという面倒なことが隠れている。
大学受験までは例えば受験する大学の立地や受験料、どんな授業が受けられるか、あらかじめ提示されている。しかし、就職活動ではその障壁が全くない。完全な自由というと聞こえはいいが、自然と目標が浮かぶなんてことがなくなる。
エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本がある。その本の内容の趣旨は以下の通りだ。
自由というのは面倒なものだ。なぜならば何でもかんでも自分自身で行き先を決定しなければならないからだ。だから人は自分たちの将来を、強権を持った独裁者に決めてほしいと思うようになる。それこそナチス・ドイツ成立のきっかけのひとつになる。
私は現代社会のような自由主義社会を否定するつもりは毛頭ない。人々は他人の意見に縛られず、自由であるべきだ。自由な議論を戦わせることによって、この国の将来のあり方が見えてくると思う。
しかし自由な社会というのは、自分で考え抜き、自分で決断する社会だ。そして自分の決断の責任は自分が負わなければならない。
就職活動に正解はない、とよく聞かれる。そして就職のみならず、例えば大学院進学や留学、あるいはフリーターになって自分のカフェを持つとか、あらゆる可能性を考えるべきだと言われる。自由というのはそういうものだ。エスカレーター式ではない。
自分はなぜ営業マンになりたいのか。それを論理的に面接官に説明しなければならない。自問自答しなければならない。就活までは、自分の先には他人が敷いてくれたレールがあった。しかし今では、レールという自分の人生を自分で敷かなければならない。決められたレールから外れなければならない。自立を半強制的に迫られる、そういう残酷な時期なのだ。
「敷かれたレールを走るのは、電車だけでいい」
もちろん電車は敷かれたレールを走ってくれなきゃ逆に非常に困る。脱線になってしまう。が、人間の場合にはそうはいかない。一社会人として自分の人生をどう生きるか。それが問われているのだと感じた。
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Last updated
Nov 30, 2008 11:10:55 PM
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