今日は1月17日。6434人の犠牲者(4万3792人の負傷者)が出た阪神大震災から16年の月日が経ちました。
神戸をはじめ、兵庫県南部地方や淡路島は大きな被害を受けました。象徴的だったのが阪神高速道路が横倒しになっている写真でした。他にも神戸阪急ビル、神戸国際会館、三菱銀行の支店、中央区の栄光教会など、多くの建物が倒壊しました(震災後、再建された建物もあります)。ライフラインは寸断され、ポートアイランドは神戸大橋が不通になったことで孤島と化しました。淡路島には断層が出てきました。
テレビで見ると、長田区や灘区はがれきの山になりました。まるで終戦直後の焼け野原のようでした。
兵庫区にある私の母の実家も例外ではありませんでした。家自体は大したことはありませんでしたが、屋根の瓦が落ちてきたりしました。祖父母は親戚のいる大阪での避難生活を余儀なくされました。
母はかつて「阪神大震災の時、社会党政権(村山内閣)だったから自衛隊の出動が遅れたんだよ」と言ったことがあります。しかし多くの研究者は「死者の多くは家具や建物の倒壊に伴う圧死だった」と主張していることや、当時の政府の対応も「未曾有の大災害であることから、村山さん以外の人が首相であっても迅速な対応は不可能だった」と主張する人もいるので、ただ単に「社会党政権だったから自衛隊出動が遅れて犠牲者が増えた」とは一概に言えないと思います。
あれから16年。私の中では阪神大震災は風化しつつあります。「悲しいことは忘れよう」という私の考え方によるものですが、大都市を襲った大地震で多くの人がなぜ亡くなったか。そしてそこから復興に向けてどう人々が協力していったか。その姿勢はこれからも大いに学びたいと思います。教師を志す人として、神戸を愛する人として。
東京は、いつ大地震に遭ってもおかしくありません。1923年9月1日の関東大震災から88年・・・。10年ほど前から「東京に大地震が来るかも」と報道された割には、大規模な地震は起きていません。しかしいつか必ず来るでしょう。「その日」のために、普段から小さなことでもいいから準備したいと考えました。
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Last updated
Jan 31, 2021 12:31:18 AM
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