皆さんは死後の世界について考えたことがありますか?人間は死んだらどこへ行くのだろうか。私は祖父を亡くしてから考える機会が増えました。
姿は見えないが、幽霊としてどこかで私たちを見守っているのか。2008年8月、赤塚不二夫さんの告別式。タモリさんが弔辞でこう言いました。
「あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ』と言ってるに違いありません。」
私も祖父の葬儀の際、そう考えていました。笑顔が印象的な祖父の遺影から「しっかりしろ、男が泣いてどうする」と言われたような気がしました。
ですが、死後の世界どころか天国も、ひょっとして存在しないのではないかと思ったこともあります。スティーブン・ホーキング博士(ケンブリッジ大学の物理学教授)は「天国も死後の世界もない」と言い切ります。人間の脳を、部品が壊れた際に昨日を止めるコンピューターだとする考え方から、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない」という考え方にたどりついたようです。
マンガ『夜桜四重奏』では、主人公の一人・比泉秋名の一族の誰かが、人間界と妖怪の世界との間の調律のために、妖怪の世界へと移動させられる(存在を消される)という伝統が紹介されています。主人公が「妖怪の世界」を見せられた際、そこは・・・。
真っ暗で、何もない世界・・・
だったと思います(私が1回読んだ後の感想にすぎません)。
そんな世界観もありか、と思ってしまいました。
過去に自殺を考えたことがある私は、一度死んだら魂の状態で神様の下に行き、そして「次は○○(例えば、上戸彩とか、前田敦子とか・・・)として来世を生きて来い!」と言われて、再びこの世に、上戸彩、前田敦子として生を受ける・・・のではないかと考えたことがあります。その死生観が本当だったら、何度でも人生をやり直したいと考えることさえあります。
あるいは、今と同じような時代に生まれ、また今と同じ境遇で生まれ、またニシケンとよく似た男として生を受ける・・・のかもしれません。これは、ニーチェの死生観からの影響受けまくりです。
できるなら、天才系の女の子に生まれ変わって生きていきたい!
そう望めるような死後の世界であってほしいと思っています・・・。
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Last updated
Oct 31, 2020 11:04:16 PM
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