2012年12月29日、福井駅前。
9:30を過ぎて福井駅西口(県庁方面)にいた私は福井鉄道の駅を見たり、近くのアーケード街を歩いたりした。
一見すると路面電車のような佇まいである、福井鉄道(福鉄)の線路。この先に福井駅前の停留所がある。
ちょうど電車がやってきた。福井駅前9:47発の田原町行き(越前武生発、849列車)だ。
写真の電車は880形。かつて名鉄岐阜市内線を走っていた車両で、2005年に岐阜市内線が全線廃止となった後に福鉄に譲渡された。これは福鉄が1963年に名鉄の資本下に入ったり、2000年に当時最新型の名鉄800形を福鉄で走らせたりしたことが理由だ。
福鉄の停留所を過ぎて左手側を見るとアーケード街がある。地元ゆかりの有名人、柴田勝家とその妻・お市の方が描かれたポスターが掲げられていた。どうやら隠れた歴史散策ルートらしい。
足羽(あすわ)川の河川敷に近い道路(城の橋通り)に出て西へ歩いていたところ、柴田神社と跡を見かけた。
北ノ庄城とは柴田勝家が賤ヶ岳の戦い(現・滋賀県、1583年)で豊臣秀吉に滅ぼされるまで拠点としていた城であるが、変遷が結構複雑だ。勝家が滅ぼされて一旦焼失した後に結城秀康(徳川家康の二男)によって再建され、1624年に福井城に改名された・・・というものである。
柴田神社の境内にある、復元された北ノ庄城の模型。
柴田勝家。
1575年に越前の一向一揆を平定した実績を織田信長に評価され、越前の地を与えられた。
お市の方。織田信長の妹。元々は浅井長政の妻だったが、彼が信長によって滅ぼされ、さらに信長が本能寺の変で自殺した後に柴田勝家と再婚した。彼女が産んだ浅井三姉妹は茶々(淀君・長女、豊臣秀頼の母)、初(常高院・次女)、江(崇源院・三女、後に徳川秀忠の妻)となり、激動の戦国時代を生きた。
その三姉妹とお市の方の像。
福井県が意外にも歴史ネタの宝庫であることを知り、さらに親近感が湧いたような気がした。