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カテゴリ:北海道旅行記(2017年冬)
私は今月11日に羽田を出発し、14日に帰京するというスケジュールで北海道を旅してきました。北海道へ出かけるのは11年ぶりのことです。しかし本編の前に、ブログで伝えたいことがありました。ご覧の皆さんを不快な思いにさせるかもしれませんが、書かせて下さい。
正直に書くと、この旅は素直に楽しめませんでした。どうも私の主義主張と反する「悪魔の声」が聞こえてしまうように感じました。公序良俗に反することなので書けませんが、「言葉にして言ってしまえ」のように教唆を受けているような気がしてなりませんでした。頭から離れなかったのです。なぜなのかは分かりません。正に「自分の神経症との戦い」だったと考えています。 北海道から東京に戻ってきた今は正常な状態に戻っています。なぜ北海道でこんなことになったのか。きっと、頭や心の中で緊張度が最大だったのではないかと思います。出発前から前触れがあったかと思います。 0日目~2月11日(土曜日・建国記念の日)~ ~出発前に大弱り~ 羽田空港に出かける前、私は近くに住む両親の家を訪れました。休日になるといつも昼食・夕食を両親と一緒にいただいているわけですが、私は昼食の席で、飛行機に乗ることに対する弱音を吐きまくりました。 父は先月、2週間の日程でベルギーへ出張に出かけました。母もまた、3月には仕事の都合で飛行機に乗らなければなりません。 私にとってはヨーロッパの旅以来、2年半ぶりとなる飛行機での移動。しかし私は飛行機に乗ることに対し、大きな不安を持っていました。搭乗する数時間前まで飛行機が怖くて怖くてしょうがなかったのです。2年半もの間、世界各地で様々な墜落事故が起こり、死傷者が出てきました。この時、「飛行機ほど信頼できない乗り物は無い」と真剣に考えていたのです。 「途中で墜落しないだろうか」「ハイジャックされたりしないだろうか」「地上から地対空ミサイルで撃墜されたりしないだろうか」「到着したとたんに爆破テロに遭わないだろうか」 出発する前の日から、それらの考えが脳裏をよぎってしょうがないのです。最終的にはこうなりました。 私「うわぁぁぁぁ、俺は坂本九みたいに死ぬんだ!」 私自身、これまで何十回も飛行機に乗ってきましたが、悲観論へまっしぐらです(航空会社はルフトハンザしか信用できない)。・・・電車に乗る時には事故に遭うという意識は絶対にしないのに。「107人が死んだ福知山線みたいな事故に遭うかも」とは絶対に思わないのです。 これに対して母は一言。 母(代理:園田海未)「じゃああんた、旅行に行くのやめる?誰も『飛行機に乗れ』だなんて言ってないんだし」 もう、駄々をこねる小学生とのやり取りに近かったです。 世界各地でテロが頻発して以来、私は両親が海外出張すると聞くととにかく心配性になります。例えば父に対しては「(出張先の)ベルギーは無事なの?」と言うほどでした。すると父からは「じゃあ、相模原市の障がい者施設で19人が殺害された事件はどう説明するんだよ!・・・世界で本当に安全な場所ってのは無いよ!心配するだけ無駄」と言われました。 その流れの中で、母はアイザック・アシモフの『小悪魔アザゼル』の「天と地と」という短編小説を紹介しました。詳しい説明は省きますが、その際のやりとりは以下の通りでした。 母「『地上の誰もが、彼を傷つけることはできない』と言ってんの!」 私「・・・へ?」 私は母の言いたいことがさっぱり分かりませんでした。 母「最終的には、その男に隕石が落ちてきたの」 私「そんなのあり得ない!隕石が落ちてくるんだったら、事前にNASAが発表するはず!」 母「誰もNASAの話をしてないじゃん!」 これはフィクションであって、NASAは関係ないのです。たまにフィクションの世界と現実の世界を混同する人がいて困るとのことです。 亡くなった祖父(母方)がそうでした。例えば、中高生時代の母がスヌーピーのアニメを見ていた時、チャーリー・ブラウンのお弁当を用意するスヌーピーの映像を見て「犬が触ったものを食うのか!!」と激怒したそうです。 最終的にはこう言われました。 母「現実と空想の区別がつかないとか、そういう想像力が足りないところ、あんた、神経のどこかがプッツンとしてるんじゃない?」 シンプルな物事を難しく考えすぎるという私の傾向はまだ続いているようです。これから乗るエアドゥは創業以来、死亡事故を起こしたことはありません。しかし、私は悲壮な覚悟を決めて実家を出ました。 (本編・その1へ続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 29, 2017 06:48:40 AM
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