|
カテゴリ:キャリアデザイン
クリスマスが近づくと、私は大学4年生の時の就職活動を思い出します。
もしその時の就活で、手当たり次第に応募した企業から内定をもらい、入社していたらどうなっていただろうか、と考えてみます。 2019年の今頃、幹部候補生(年収500万円くらい)として出世していて、(弟より先に)結婚して子どもが誕生している・・・という人生を送っていたでしょうか。 答えはNeinです。恐らく、自分自身のコミュニケーション能力の無さから、上司や先輩から怒られまくっていたでしょう。多分、出世どころか入社1年以内に退職していたでしょう。 (参考サイト) 内定がもらえない人の特徴と対処法10個 2008年12月24日(水曜日)、正午ごろ。私(当時21歳)は桜木町駅にいました。 その目的は、2009年3月新卒者向けの会社説明会に参加することでした。その会社とは、横浜市に本社を置く大手家電量販店のN社でした。 当時、私の通っていたD大学のゼミ仲間では、卒業後の進路が決まった人が多く出ました。JR東海から内定をもらった人。神戸市の製薬会社から内定をもらった人。セブンイレブンから内定をもらった人。 一方で卒業3か月前なのに内定ゼロの私は、漠然とながら危機感を感じていました。このままでは卒業後、アルバイトをしなければならなくなる。でも、自分は社会人として何をしたいのか、が分からない。大学卒業後の生活はどうなるのか、全く想像がつきませんでした。 私は2008年4月頃まで、単に「表面的に興味のあった」運輸・物流業界を中心に就活をしてきました。その後は、業界にとらわれずに、それこそ手当たり次第に応募することで就活をしてきました。そして、筆記試験は通っても面接で落ちる・・・の繰り返しでした。2008年12月24日の段階で、面接で20連敗ほどしました。 ・フードサービス(回転寿司) ・コンクリート ・信用組合 ・電設会社 ・物流 ・不動産 ・ソフトウェア開発 ・生命保険の代理店 ・・・とにかく、リクナビやマイナビで様々な業界の会社にエントリーし、面接を受けていたのを覚えています。その結果、ある会社の面接では「会社選びの基準が分からない」と言われたこともあります。 「溺れる者は藁をもつかむ」ではありませんが、「どの業界でもいいから、どの会社でもいいから、内定をもらって両親を安心させたい」という思いが当時の私の原動力でした。 桜木町でN社の会社説明会が開催される、とリクナビで知ったのは12月17日頃(1週間前)のこと。私はこの時点でN社の名前を初めて知りました。ですが相変わらず悠長に構えていた私は、「いつものように」履歴書を書き、会社概要を表面的に調べただけ。その会社の特徴だとか詳しいことを調べる発想はなかったと思います。 12月24日、クリスマスイブ。 私は午前中に世田谷区の自宅を出発し、小田急線、JR南武線、京浜東北線を乗り継いで桜木町駅で下車しました。 午後1時に会社説明会がスタート。司会者は女性の方でした。 社長のスピーチに始まり、プロモーションのためのビデオ放映などの企画がありました。N社・新卒採用のスローガンは「出る杭は伸ばす」。・・・失敗を恐れないこと。従業員の個性を引き伸ばす・・・。聞き心地の良いスローガンに勝手に惚れてしまっていました。そして私は「何だか急に熱くなってきた」と感じました。 説明会の最後には、司会者への質問コーナーがありました。私は思い切って挙手して質問しました。・・・選考での点数稼ぎのために。 私「『地域に貢献』ということに魅力を感じたのですが、具体的にはどんなことをしているのですか?」 司会者の顔が真面目な表情に変わったように感じました。 司会者「あの・・・、確かに『地域に貢献』というコンセプトは大切にしております。ただ、会社というのは利益を出さなければいけないんですね。電球1個交換してあげるのでは、利益は出ないんですよ。ボランティアでやっている訳ではないので」 私は(心の中で)「・・・また出たよ。『慈善事業ではない』って。じゃあどう質問すればいいのさ」 と思いました。 午後3時で説明会は終了し、そのまま希望者のみの新卒採用の選考会に移行しました。3時から筆記試験、4時から集団面接、となりました。 午後4時からの集団面接(学生5人・面接官1人)。面接官は先程の女性司会者です。 3つ質問が飛びましたが、問題は2番目の質問でした。 「この会社に入社したらどんなことをしたいか」という質問だったかと思います。 司会者「どの業界に限らず、仕事内容をきちんと覚えるというのは当然のことだと思いますけど?」 私「はい、そうですが・・・」 司会者「じゃあ、なんで小売業界を受けてるんですか!?」 私「それは・・・。絶えず学び続けることで、様々な人の生活を・・・知ることが・・・できるからです・・・」 結局、最悪の気分で集団面接は終了。午後5時に解散。桜木町駅のあたりは真っ暗になっていました。結果は当然、不合格でした。 私は帰りの京浜東北線の車内で「クソ・・・クソ・・・!」と心の中で思いました。そして、金輪際N社のお店で買い物をしないことを誓いました。N社がスポンサーを務める横浜ベイスターズへの印象も悪くなってしまいました。 ~もしも~ もし、新卒でN社に入社していたら。 多分、電話対応で苦情をバンバン言われたことでしょう。「君じゃ話にならないから、上司か先輩に変わりなさい」と言われたかもしれません。 会社の社風にもよりますが、意外に成果主義だったりして。営業成績が良い人からどんどん出世していって、同期として比べられて。そして私は、他人と「交流しよう」という気持ちがないので、ますます存在感がなくなっていく。追い打ちをかけるように、「自分のことしか考えず、他人の手伝いをしないのならば、他の社員との接触を禁止するよ」と上司から言われたかもしれません。 ただでさえ、同級生と比較して回り道の多い私の人生。それが、もっとメチャクチャになっていたと思います。もちろん、このパラレルワールドでの私には「教師になる」という発想すら出てこなかったでしょう。 最悪の場合、入社から1年以内に離職→「何をしたいのかが分からない」→路頭に迷う・・・。 という現実以上に「こんなはずでは・・・」という人生になっていることでしょう。 ~現在~ 私は大学3年生のころに、できれば東京(関東近辺)の中小企業になんとなく就職。もしくは、神戸へUターン就職・・・と漠然と考えていました。 しかし12年後の私の現況は、これまでのブログで説明した通り。「事実は小説よりも奇なり」とはこのことだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 31, 2020 10:49:28 PM
コメント(0) | コメントを書く
[キャリアデザイン] カテゴリの最新記事
|