ここ数年、私は発言する際に「どんな言葉を選ぼうか」と考えるようになりました。「言葉は場合によっては武器となる」ということを、私は今までの人生経験から考えるようになりました。
先日、とある殺人事件の、とある容疑者が逮捕されました。どんな事件なのかは一生言わないでおきます(リアルでも)。
もしこれが20年前に発生した事件だったら。当時中学生の私だったら。事件の性質上、加害者を擁護していたでしょう。そして、教師、クラスメイト、家族、全部を敵に回していたことでしょう。
小学校高学年だった頃から大学生だった頃まで、私は、言葉の力の恐ろしさを全く知りませんでした。全く自覚していなかったので、知らず知らずのうちにクラスメイトを傷つけ、父を傷つけ、弟を、言葉の力で傷つけてきました。
言葉とは時に、人を傷つけるための武器にもなれる。他人を自殺に追い込むための武器にもなれる。2011年のゴールデンウイーク(祖父の葬儀の時)にそう実感しました。それ以来、「この言葉を言い放ったら、相手はどう反応するだろうか」を意識して仕事をすることを心掛けています。
金子みすゞの「こだま」という詩の一節を思い出します。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
(引用終わり)
途中の「もう遊ばない」という言葉が、何か不吉なことを暗示しているかのようです。
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Last updated
Jun 21, 2020 09:36:49 PM
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