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カテゴリ:私の理想郷・九州
2005年頃、東京で大ヒットした芸人の一人に波田陽区さんがいます。その頃の私は大学に進学したばかりでしたが、相変わらずテレビばかりを見ていました。その中で彼は「いきなり!黄金伝説」(テレ朝)に準レギュラーとして定期的に出演している・・・という印象が強かったです。その後、特に東日本大震災の後は、彼がどこで何をしているのか全く分からない状態になりました。
彼は妻子とともに福岡県に移住。並大抵の決断ではできなかったと思います。なぜ東京を捨てて福岡へ移住したのか。Yahoo!が特集記事を組んでいたので紹介します。 「東京にいる時よりも100倍ぐらい明るくなった」波田陽区が移住先・福岡で見つけた幸せ(5月10日、Yahoo!ニュース・オリジナル) 「ギター侍」というキャラクターで一世を風靡した波田陽区さん。現在は福岡県に移住して活動拠点を変え、仕事もプライベートも充実した生活を送っています。「東京にいる時よりも100倍ぐらい明るくなった」「家族との会話も増えた」「今が人生で一番幸せ」――そう語る波田陽区さんですが、過去には“憧れの地・東京”で働くことにこだわり、苦しんでいた時期があるそうです。どのように苦しい生活から抜け出したのか、移住先でどんな変化を感じたのか。そして、住み慣れた土地を離れ都会での新生活を送るも、なかなかうまくいかず悩んでいる人たちに向けて伝えたいことについて聞きました。 (Yahoo!ニュース Voice) ==憧れの東京から、福岡へ移住という選択== ――波田さんにとって東京とはどんな場所でしたか。 波田陽区:子供の頃から憧れの場所です。1998年に九州の大学を卒業して、22歳ですぐに上京しました。ビートたけしさん、明石家さんまさん、ダウンタウンさんと一緒に仕事したいと思っていたので、それを実現できてすごく感動しました。夢があるところだと思います。 でも、10年以上ずっとテレビに出演し続けることがどれだけ難しいことなのか身をもって経験させていただいたので、今となっては僕の“宝”といいますか、人生そんなに甘くないよっていうのを教えていただいた場所でもあります。 ――東京から福岡に移住しようと思ったきっかけは何ですか。 波田陽区:何かを変えたいと思っていました。2004年に「ギター侍」のキャラでブレイクしてから、約10年鳴かず飛ばずの時代を過ごしていて、何とか抜け出したいという気持ちはあったんですが、自分の実力がないことも分かっていたし「ギター侍」以外の新たなものを生み出せずにいました。 奥さんは何も言わず普通に振舞ってくれるけど、子どもはその時まだ小さかったので、自分が週に4日も5日も家にいるようになると「パパ、今日もいるんだ! わーい!」と喜んでいました。子どもは笑っているけど、暇だから家にいるだけなので、自分は苦しかったです。 福岡に移住したのは、事務所の支部があったことと、自分の実家がある山口県と奥さんの実家がある熊本県の間にあって、すごくいいところだと分かっていたからです。40歳を機に心機一転福岡に移住しました。 ――移住してみて東京と違う点はありましたか。 波田陽区:福岡では“一発屋”ではなく、“いちタレント”として扱ってもらえています。東京にいる時は一発屋の仕事がほとんどで、「最高月収は?」「最低月収は?」「最近あった悲しい話は?」という話ばかりでした。そこから抜け出せず、いつも同じことをしている自分に対してもどかしく悲しい気持ちになりました。しかし、地元に近いところに移住して、みんなに優しくしてもらったことで「もっと人に甘えていいんだ」「もっと気楽にやっていいんだ」と素直になれました。 ただやはり、東京の方がギャラは高いと思います。でも、お金云々じゃなくて。今日仕事がある幸せとか、時々家族と行ける外食とか、そのような生活のバランスを考えると、幸福度としては何倍も何十倍も、移住した後の方が最高に幸せですね。 ==福岡に移住したことで起きた“心の変化”== ――福岡ではどのような活動をしていますか。 波田陽区:福岡での仕事内容は、街ブラやリポートなどです。自分を卑下せずにできる仕事なので、気持ちもリラックスできるし、心の安定感があります。また、今までやったことないような仕事もあり、例えばラジオでは福岡の市長さんや町長さんに会いに行くことも。緊張はありますが、いい経験をさせてもらっています。 ただ、スキルは一切ありません。所詮は波田陽区、「来月同じ仕事があると思うなよ」「調子に乗るなよ」というのは肝に銘じて生きています。できない人間だと分かった上で、自分の精一杯をやる、カッコつけない、背伸びしないという感じです。東京にいた時は、できないくせに気の利いたことを言おうとか思っていました。でも今は、もうスベッたらスベッたで、素直にスベッたと言えるようになりましたね。 ――私生活での変化は。 波田陽区:自分で言うのも気持ち悪いですけど、東京にいる時よりも100倍ぐらい明るくなりました。家族との会話も相当増えたと思います。やはり東京にいる時は、僕が勝手にふさぎ込んでいました。“だめな親父”“使えないお笑い芸人”が家にいるんだと、一人でいじけていたんです。福岡に来てちょっと目線を変えたことで、「もっと人に甘えていいんだ」「もっと気楽にやっていいんだ」と、自分を縛り付けていたことがなくなり、気が楽になったのはあります。 時々自分がテレビに出ているのを見て、「パパ出てたよ」と子どもが嬉しそうに言ってくれるのは、すごく仕事のモチベーションにもつながるし、やりがいにもなります。東京にいる時は、「あんた最近大丈夫?」と心配してくれていた親が、今では地元のテレビで見てくれているというのも嬉しい変化です。 また、最近では、街の消火栓の写真を撮って散歩したり、一人で絵を描いたりもしています。別に消火栓の写真を撮っても仕事にはつながらないですし、自分が楽しいからやっているだけです。もし東京にいたら「こんなことしてる場合じゃねーじゃん」とやっていなかったかもしれないですけど、今は自分の時間もエンジョイできるようになりました。自然があって、子どもと海に行ったり、川でごろんとしたり。何気ないことですが、東京でそういうことをあまりできていなかったので、当たり前の幸せを当たり前に感じられています。 ==憧れの都会、新生活に慣れなくても背伸びしない方がいい== ――今まさに慣れない新生活に苦しんでいる人に向けて伝えたいことはありますか。 波田陽区:もし東京や慣れない場所で、苦しくてどうしたらいいか分からないという日々を送っている方は、一旦離れて環境を変えてみると、自分がどういう人間なのか見えてくるかもしれません。 ただ、環境を変えるということは一つのきっかけにすぎません。大事なことは、カッコつけずに自分らしくいられるかです。僕は今福岡で、本当に自分の身の丈に合った生き方をしているなと思っています。 僕もそうでしたが、特に若者は都会に憧れると思います。間違いなく言えることは、馬鹿にされないようにと、背伸びしない方がいいです。無理をしたら後で大変なことになります。自分は40歳を超えてこのことに気づきました。もっと早く気づいていれば、もしかしたら東京でも意地を張らずにリラックスして生きられたのかもしれません。 地方と都会のどっちがすごいとかではなく、地方が合っている人は地方に帰ればいいし、都会が合っている人は都会に住めばいい。自分に合うところを探すのが一番だと思います。僕は今福岡にいるのが心地いいので、皆さんもそれぞれ探してみてほしいなと思います。 ====== 波田陽区(はた・ようく) お笑い芸人。1975年生まれ。1998年にデビュー。2007年に結婚、2009年に長男が生まれる。2016年に家族と共に福岡市に転居し、ワタナベエンターテインメント九州事業本部に籍を移した。現在では福岡、山口、佐賀でテレビ3本、ラジオ4本のレギュラーを持つ。 (引用終わり) 大分県に移住した元オセロの中島知子さんと同様、「必ずしも首都圏に住んでいなくても、都落ちしても、自分は輝ける」ことをこの記事は教えてくれるかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 11, 2022 11:33:33 PM
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