テーマ:旅的随筆(15)
カテゴリ:旅ネタ
現在の私ならば一片の臆面も見せることなく「何をバカなことを。二人の息子が宝に決まってるじゃございやせんかァ」などと答えるのは必定であるが、旅に出た当時の私ならそのような問いには沈黙するしかなかっただろう。 ~だろう。なんて推測っぽい語尾にするのは実際にそのような問いかけをされなかったからであるし、旅行に出る以前の、惰性と奔放と自堕落をごちゃまぜにしたような毎日を送る若き日の私を前にして間違っても「あなたの宝物は?」などと心が上向きであることを前提としたような問いかけを為すものは皆無だったのである。 宝物とまでは言わずとも大事にしているものすらなかったように思う。まず衣類や靴、鞄、帽子やアクセサリーの類にはほとんど興味がなく、付き合っていた女性達が選んだり買ってくれたりしたものを身に着けているに過ぎず、趣味やらクラブ活動やら積極的姿勢を要するものとは殊更に距離を置き、夜な夜な見ず知らずの方々との賭け事に興ずるか、深夜明け方に至るまで徹夜仕事に明け暮れ、高濃度のニコチンタールやTHCを終日吸引してはだるい身体を引き摺るばかりだったのだ。 そんな奴が何を思ったか衝動的に大陸へ渡ったところでそんな奴であるから準備も下調べも出来るわけがないのは当然のこと、宝物なんて持ってるわけがない。 宝物って何のこと? 質問されてる意味が解らないんだけど…? ってなもんであるが、写真のオレンジ売りの少年は私を家に招き、自分の宝物だというものを見せてくれたのだ。 その前日、少年はオレンジとバナナを売りつつ傍ら私にベンガル語をずいぶんと教えてくれたので私はそのお礼に屋台で買ってきた夕飯をご馳走した。そして翌日、今度は少年が昼ごはんを是非ご馳走したいと言うので家まで行ったのであるが、建物に囲まれた狭い路地をくぐり抜け、辿りついた先にあった物置みたいなみすぼらしい小屋を指差して「マイ・ハウス!」と言うから私は愕然となった。 屋根は私の身長より低く、肩の高さほどしかない。身体を屈めるようにして中へ入ると畳二枚ほどの広さの土間の床。その周囲と小さな棚にガラクタみたいな物が整然と置かれていて、家と言われれば家に見えないこともなかったが、やはり頑張っても物置小屋が精々だし、日本なら大型犬の犬小屋ってところかも知れない。少年はそこに父親と二人で住んでいるというのだから日本から来てまだ日の浅い私が驚かない筈がなかった。 小さな芋を煮たものがその日の昼食だった。小石ぐらいの芋が二個と塩気のある湯が器に入ってるものの全てである。器もアルマイトで出来たようなでこぼこで薄くて小さなボウルだ。地べたに座り込みゆっくりとそれを食べる私を少年は楽しげなる風情で見詰め、宝物だと言う物を見せてくれた。ヒンデゥーの神様が極彩色で描かれたカードが数枚と、壊れかけた小さなラジカセだった。 ラジカセの中にはインドポップスのミュージックテープが入っていて、それも宝物だと少年は言う。だが再生ボタンを押しても音楽はまともに流れず、モーターが壊れているのか途切れ途切れのインド歌謡が速くなったり遅くなったりしながら雑音を流すばかりだった。少年はラジカセやテープをあれこれいじってみるもののやっぱりまともな音楽は流れてこなくて、「今日は調子が悪いんだ」と言い訳をしたし、その照れたような顔がとても可愛かった。 その日の夜、宿に戻ってから私は考えたのだが、いくら考えても思い返してみても私に私の宝物と呼べるものは何もなかったのである。それが良いことなのか悪いことなのかいくら考えてみても、やっぱり、その時の私には判らなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.22 10:53:40
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