441382 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

職の精神史

職の精神史

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Category

Archives

2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12

Freepage List

Profile

nao12317556

nao12317556

Calendar

Comments

isaka@ Re:竹山道雄「白磁の杯」(05/28) 突然で失礼いたします。「白磁の杯」は、…
背番号のないエース0829@ Re:ヒトラー 映画〈ジョジョ・ラビット〉に上記の内容…
takokuro@ Re:ヒトラー「わが闘争」(06/08) 「内心に罪の意識があり、自信がない人間…
しみず ぎすけ@ Re:278.笑顔に勝る化粧なし・・・(04/25) 小さな店舗で、運営を任されている清水と…
Abc@ Re:私の外国語学習(05/21) 頭悪すぎm9wwwwwwwwwwwwwwwwww
2008.05.06
XML


猿が人間になるについての労働の役割

「猿が人間になるについての労働の役割」(エンゲルス・1867)


共産主義ファンタジー文学の最高峰に位置する作品ではないだろうか。

あまりの愚かさに、笑いを通り越して憐みさえ覚える。

こんな本に立脚して、未だに歴史の教科書を「アウストラロピテクス」や「ネアンデルタール人」から覚え始めるどこかの国の中高生が本当にかわいそうである。


数十万年前に、地質学者が第三紀とよんでいる地質時代のなかの、まだはっきり確定できない時期に、おそらくはその終わりごろに、熱帯のどこかにたぶんいまはインド洋の底に沈んでしまっている大陸のうえに、とくべつ高度に進化した類人猿の一種が住んでいた。ダーウィンがわれわれのために、われわれのこの祖先についておおよそのところを記述してくれている。彼らは全身毛でおおわれ、ひげをはやし、とがった耳をもち、樹上に群棲していた。(七)


学術書にしては、何というお粗末な始まり方だろうか。ダーウィンは共産主義を正当化するために進化論を唱えたのではないが、こう勝手に引用されては、たまったものではなかっただろう。


おそらくはじめは、木に登るさいに手に足と違った仕事を割り当てる彼らの生活の仕方に影響されたのであろうが、これらの猿は、平地を歩くのに手の助けをかりる習慣をなくしはじめ、しだいに直立して歩く習わしを身につけはじめた。これをもって、猿から人間に移行するための決定的な一歩がふみだされたのである。(七~八)


直立歩行だけで、どうして言葉や頭脳につながるのか。

猿と人間を分ける要素は、まるで二足歩行をしているかどうかと言わんばかりの書き出しだ。



・われわれの祖先は、数万年をつうじて猿から人間に移行するあいだに、徐々に自分の手をいろいろな操作に適応させることを学んだのであるから、その操作は、はじめはごく簡単なものでしかありえなかった。もっとも低級な野蛮人、肉体的に退化すると同時にもっと動物的な状態に逆もどりしたのだと推定せざるをえないような野蛮人でさえ、この過渡的な生物にくらべれば、やはりはるかに高級である。(九)


下線部は「共産主義者」のことだろうか。私は彼らと猿の違いがよく分からないのだが…。



・しかし、決定的な一歩はふみだされていた。手が自由になって、これからはつぎつぎと新しい技能を獲得することができるようになったのである。そして、こうして獲得した、以前にまさるしなやかさは遺伝して、世代から世代へとつよまっていった

だから、手は労働のための器官であるばかりではない。それはまた労働の産物でもある。

労働することによって、つぎつぎと新しい操作に適応することによって、こうして獲得した筋肉、靱帯、およびもっと長いあいだにはまた骨の、特殊の発達が遺伝することによって、そして、この遺伝によってうけつたえたいっそうの巧緻さを、新しい、ますます複雑な操作にたえず新たに適応させることによって、はじめて人間の手は、まるで魔法によるかのように、ラファエロの絵画やトルヴァルセンの彫像やパガニーニの音楽を生み出すことができるほどの高い完成度に達したのである。(九~一○)



「労働」にやけにこだわるのは、この営みを中心にした唯物史観に読者を導くためだが、「肉体を動かすこと」だけを仕事と見なすのは、現代のサラリーマンと大差がない。

仕事の中に精神的な効用や人間としての喜びはないのか。


だいたい、「特殊の発達」とは何を指すのか。獲得形質の遺伝が、知識や能力についても起こるとは聞いたことがない。

ならば、全ての人間はあらゆる先祖の能力を遺伝で引き継ぎ、生まれた時から信じられないほど天才になっていなければおかしいではないか。

「人間、生まれた時はゼロ」、つまり「生まれながらに平等」は、共産主義者のキャッチフレーズではなかったのかと確認したくなる一文だ。


パガニーニのバイオリンなんて、人間でも一生修行したって、そう弾けるものではない。論理が飛躍しすぎだ。あの芸術的な楽曲が、腕の筋肉や指先の動きだけで弾けるとでも思ったのだろうか。芸術家の精神は関係ないのだろうか。


・他方では、労働の発達は、必然的に、社会の成員をたがいにいっそう密接に結びつける助けとなった。というのは、そのおかげで、相互扶助や協働をおこなうばあいが頻繁になり、またこの協働が各個人にとって有用であることがはっきり意識されたからである。

要するに、生成過程にある人間は、たがいになにかを話しあわなければならないところまできた欲求はその器官をつくりだした

すなわち、猿の未発達の喉頭は、音調を変化させることによって、またさらにすすんだ音調の変化をめざして、徐々に、だが着実に改造されてゆき、口の諸器官はしだいに、区切りのある音を発音することをつぎつぎに学んでいったのである

言語が労働のなかから、また労働とともに発生したというこの説明が、唯一の正しい説明であることは、動物との比較によって証明される。(一一)



まだ経験したことがなかったはずの「会話」を、どうして想像しうるのか。

望めば話せるようになる、望めばその器官が生まれてくるというのでは、まるでドラえもんかエイリアンの世界の話だ。とても「科学的」とは言えない。


最後はまたしても「労働」である。

エンゲルスは軍事的分析は巧みだが、生物学や社会学はお粗末きわまりない。


・はじめには労働、ついでそれとともに言語、これが、猿の脳髄が、よく似てはいるがずっと大きくてもっと完全な人間の脳髄にしだいに変わっていくのをうながした、二つのもっとも重要な刺激である。(一三)

・木によじ登る猿の群から人間の社会が生まれてくるまでには、たしかに数十万年の年月が経過した。しかし、ついに人間の社会は生まれた。ところで、猿の群から人間社会を区別する特徴的な違いとして、またもや見いだされるものはなんであろうか?労働である。(一三~一四)

そもそも、この本を読んだ人とは、どういう人なのだろうか。

もしかして、読者が「猿」ではなかったのだろうか。


・その知力と適応能力とにおいて他のすべてのものをはるかにしのいでいたある猿族にあっては、濫獲の結果はつぎのようなものであったにちがいない。

食用植物の数がますますふえ、食用植物の食える部分がますますあまさず食われるようになり、要するに食料が、したがってまた体内にはいってゆく物質、すなわち猿が人間になるための化学的条件たるものが、ますます多様になった。しかし、こうしたことはまだ本来の労働ではなかった。労働は、道具の製造とともに始まる

では、われわれの見いだすいちばん古い道具はなんであろうか?これまでに発見された有史前の人間の遺産から判断して、また最古の歴史民族や現存のもっとも原始的な野蛮人の生活様式から判断して、いちばん古い道具はなんであろうか?狩猟具と漁撈具であり、前者は同時に武器でもあった。(一四~一五)


まるでわが国の歴史教科書の始まりのようだ。

狩猟・漁撈から最後は「資本」というふうに、生計獲得手段、つまり「生産手段」を中心に歴史を見ていく、バカバカしい歴史観の始まりである。


手や、発声器官や、脳髄をともにはたらかせたおかげで、人間は、各個人としてだけでなく、社会のなかにあるものとしても、ますます複雑な操作をはたし、ますます高い目標をかかげ、またそれに到達することができるようになった。労働そのものも、世代から世代へと移るごとに、別の、いっそう完全な、いっそう多面的なものとなった。狩猟と牧畜にくわえて農耕が現われ、さらにこれにくわえて紡績、金属加工、製陶術、航海が現われた。商工業とならんでついに芸術や科学が現われ、種族は民族および国家となった。(一七)


本当に脳髄を働かせた人間なら、こんな妄想はしないだろうし、こんな無理な要約もしないと思うのだが、どうか。


・母胎内の人間胎児の発生史が、われわれの祖先の動物が虫から始まって幾百万年にわたってなしとげた肉体的進化の歴史を短縮してくりかえしたものにすぎないように、人間の子供の精神的発達も、同じ祖先の、すくなくとももっと時代の近い祖先の知的発展を、ただいっそう短縮したかたちで、くりかえしたにすぎないからである。(二○)


我々の先祖は猿以前に「虫」なのか。それは初耳だ。

こんな理屈を詰め込まれれば、潜在意識のレベルで「過去」を古く劣ったものに思っても仕方がない。

共産主義は「進化論」ではなく「退化論」と名前を変えたほうが、本質が分かりやすい。



一次文献を丹念に読むことを記者時代からいつも大切にしてきた私だが、この本は本当にバカバカしいものだった。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.05.07 04:53:41
コメント(0) | コメントを書く
[◆寸評(社会主義)] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.