作品を殺されたら己の命も投げ出したくなるのかな?(T_T)
ツーことで、今日も朝から青空が広がり、暖かな陽射しが降り注いでいる?(^^ゞ 都心のアメダスを見ると、明け方の気温は4度で、北寄りの風が吹き、日照は十分だけど、午前10時の気温は8度と昨日一昨日とほぼ同じくらいか?(^^ゞ 晴れて暖かなのは今日までで、明日は曇って気温が下がり、明後日明々後日は晴れても気温が低くなるって話で、暖かなうちに風通しして布団をふかふかにしないとダメだよね?(^^ゞ けど、布団を干している間は布団にくるまれないからガタガタ震えるしかない?(T_T) 鼻がぐずぐず言っているから頭の方もぼんやりしちゃって何もする気が起きない(T_T) 困ったもんだ(T_T) こよみのページによると、今日は「晦日正月,晦日節…正月最後の日。 この日に、松の内に年始回りをしなかった家を訪ねる地方もある」、「生命保険の日…1882年(明治15年)のこの日、受取人第一号が現れたことによる。当時の保険料は30円支払われた保険金は1000円だった。日本最初の生命保険会社が設立はこの年の前年1881年(明治14年)であった。11月1日の生命保険の日とは別のもの」、「愛妻感謝の日…愛妻感謝ひろめ隊(http://ai31.jp/)が制定。1/31を1(アイ)31(サイ)と読み、この日とした。「愛妻感謝を通じて夫婦愛を深め、そして関わる人達すべてを"HAPPYにする活動"を広げよう」がスローガン。また1/31〜2/12を愛妻感謝期間とすることも提唱している」、「京都市電開業記念日…1895年(明治28年)のこの日、日本初の路面電車となる京都電気鉄道が京都駅前-伏見間で開通した。通称は「チンチン電車」」だとか。ところで、(第2別館)では扱いが難しいから触れていないけど、ドラマの原作となった漫画を描いた漫画家が自死したらしい。ネットで見た範囲だけど、まだ連載中のマンガなので今後の展開とかとの絡みがあるのでできるだけ原作に忠実にするためにプロットやセリフも原作者の方が提示し、それをもとに脚本家が脚本にして原作者に見て貰ってOKが出るまで直してもらうという契約だったらしいが、毎回原作を無視したような脚本だったので原作者は何度も手直しをしていたそうだ。でまだ原作が書かれていない終盤についてもあまりにも原作を無視した脚本だったので全面的な手直しを求めたが巧く行かず、最終的には最後の2回は原作者自身が脚本を書くことになったそうだ。これだけ見れば勝手に原作を改変した脚本家が悪いように見えてしまう。原作とドラマの関係というのは難しい。原作を尺に合わせてコンパクトにするだけだって考え方もあれば、原作をベースにより面白いものにするのが脚本家の仕事だって考え方もある。ドラマは原作を知らない人も見るとはいえ、原作を知っている人からすれば換骨奪胎されたものを見て嫌な気持ちになることもママあるという。とはいえ、原作を知らない人がドラマを見て原作の方を見て見ようというきっかけになるのも事実なのだ。実際問題として小説でも漫画でも原作としてドラマや映画に使われることでブレイクすることもあるし、逆にドラマ化映画化されることで幻滅してしまう人もいる。この辺りは非常にデリケートなんだけど、換骨奪胎しても大ブレイクすれば許されることはあっても、全くブレイクしなかったなら非難囂々ってことになるのはやむを得ないんじゃないかな?実際問題としてドラマ化は原作にとっては収益的にプラスになることが多いから嫌でも我慢するしかないって事情もあったりするのだ。そんなことからある小説家は「小説とドラマや映画とは別物だからどう扱われても気にしない」旨のことを言っていたりする。けど、しばしば原作者と制作者がもめているって話を耳にするように、ケッコウ制作側が勝手なことをしちゃうんだろうね。けど、それはそうでもしないと当たらないからだって考えているからかもしれない。ある意味、原作として使ってやっているんだから感謝しろ、みたいな傲慢さがあることもあるようで、今回のように原作に忠実な脚本にするという契約だとしても好き勝手やることがままあるようだ。実際に、今回の脚本家は過去にも原作を全く無視した脚本を書いて「原作ブレイカー」と呼ばれたりする人らしいので、原作を無視するのが常態化していたのかもしれない。で、原作を無視し続けるから最後の2回分は別の人に脚本を頼むという話になったけど、最終的には原作者自身が脚本を書かざるを得なくなったようだ。このことについて昨年末に脚本家がSNSで「原作者が書きたいといったから降ろされた」旨のことを発信し、これに対して先週くらいに原作者側がSNSで経緯を説明したのだけど、2日ほどでこの記事を削除して自死に至ったというわけだ。で、これに対してテレビ局は「原作者の了解を得ている」旨のコメントを出し、さらに「関係者に誹謗中傷をしないでほしい」などとコメントを出したことで炎上しているようなのだ。契約には原作者と脚本家の間に出版社とテレビ局が挟まっていて、この間での意思疎通がどれくらいとれていたのかって話がまずあるだろう。原作者がドラマ化に当たって求めていた条件が脚本家のところまで伝わっていなかったなら脚本家がいきなり降ろされることに怒りを感じてSNSでぶちまけることも仕方ないかもしれない。もしも原作者の条件を知っていながら「そんなの知らない」とガン無視して脚本を書いていた場合でも「面白くしたのに何よ」と怒るのもあり得るだろう。けど、原作者に対するリスペクトが欠けているからあまり褒められたものじゃない。どちらにせよ原作者が経緯を公表した時点で「誤解がありました、すみません」と一言あれば全く違ったものになったと思うが、結果として表向きはガン無視したことで原作者が自死に至った可能性もある。あと、出版社とテレビ局は正直誠意にかけていると思わざるを得ない。原作者が納得できないから脚本を変えてほしいという要望の意味をかなり軽く考えていて、最終的に原作者が脚本を書かざるを得なくなっていたこと自体が出版社やテレビ局の落ち度と言わざるを得ないでしょ?あくまでも憶測の範疇だけど、テレビ局は面白いドラマであれば、数字さえ取れればどうでもいいという考えで原作者の要望も脚本家の仕事ぶりも「どうでもいい」としていた可能性は高いんじゃないか?なのに、「うちは悪くない」というコメントを出しているんだから非難が集中しても仕方ないんじゃないかって思うのだ。少なくとも原作者が自死した原因の一旦はテレビ局にあるわけだから、「申し訳なく思っている」くらいのことは言うべきだと思うのだ。もちろん、誰かのことを誹謗中傷するのは感心しないことなのでやるべきじゃないと思うが、それを非難される側が言っちゃうのは火に油じゃないか?テレビ局がドラマの原作にしなかったならこんな悲劇は生まれなかったんだから、そのことくらいは謝罪しないと拙いでしょ?作品を殺しただけでなく、作者も死に追いやったという責任をテレビ局は負わないといけないんじゃないか?テレビ局がキチンと謝罪しないから脚本家がターゲットにされるんじゃないの?ツーか、二度とこんなことが起きないように原作へのリスペクトがないようなドラマつくりをしないための体制つくりも必要だし、原作者などの権利擁護も必要になってくるんじゃないかな?なんか、テレビ局が原作者も脚本家も下に見ているからこういうことしても平気なのかなって思えてくる(T_T)