【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

フリーページ

お気に入りブログ

アトランタの風に吹… まみむ♪さん

コメント新着

 NOB1960@ Re[1]:無理矢理持ち上げた結果が…(^^ゞ(10/11) Dr. Sさんへ どもども(^^ゞ パフォーマン…

カテゴリ

2003年05月16日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
前に「無知の知」について触れたときに「無知の無知」ってのがダメなパターンとしてあげたけど、知らなかったじゃ済まされないことってありますよね?そういうのの典型(?)みたいのが「十二国記」の「風の万里 黎明の空」に出てくる。この本については不幸自慢の少女・鈴について書いたときに触れたけど、この本は三人の少女の成長物語のオムニバスで、それがやがて一つのお話に収斂していくんですが、その三人の少女と言うのが鈴と陽子ともう一人、祥瓊(この字大丈夫か?)。祥瓊は北西の虚海に浮かぶ芳国の王の一人娘で、13歳のときに父親が登極したのでそれ以来30年仙籍にいたので、姿は13歳のまま後宮で花よ蝶よと暮らしていた。父親の芳国の王・峯王は生真面目な官吏だった人で、人の裏表のことが解らず、法律を守る人が好い人で、守れないのは悪い人だと思い、微細な罪にも苛烈な罰で対処したために天意を損ない、芳国の麒麟・峯麟が病に倒れ、焦った峯王は罰を更に厳しくし、数十万人が刑死したため、クーデターで屠られてしまう。クーデターの首魁、恵州候の月渓は王と后と麒麟を屠ったが、なぜか祥瓊は殺さず、仙籍を剥奪し身分を隠して地方の孤児収容施設に入れる。祥瓊はそこで3年庶民の暮らしをしたが、ある日正体がばれ、私刑に掛けられるところを月渓に救われ、隣国の恭国に送られ、そこで王宮の下女として暮らすことになるが耐え切れずに宝物を盗んで出奔する。「慶国に十代の少女の王が即位した」と言う噂を耳にし、慶国を目指していたが、恭国の隣国、柳国で捕縛され、官吏に宝物などを巻き上げあれ、無一文で放り出される。それを「拾った」のがかつて瀕死の状態の陽子を「拾った」○○(まだ伏字?)だった。○○と旅を続けるうちに祥瓊は自分に足りなかったものを学んでいく…

かなりのネタバレですが、まぁ、これくらい書かないと祥瓊について説明が出来ないから仕方がないと言うか…(^^ゞ なぜ月渓が祥瓊を殺さなかったのかと言う話はまた別のところ(「昇月」と言う短編)で語られているんで触れませんが、祥瓊はなぜ両親が殺されたのかが理解できません。多分仕事を家庭に持ち込まないような父親だったために、祥瓊には優しい父親であり、芳国のために尽力している国王であって、その苛烈な治世ゆえに民の怨嗟の的になっているなど思いもよりません。祥瓊にとっては月渓は両親を殺して王位を盗んだ簒奪者で月渓が民に賞賛されるのがわかりません。何より自分が民の恨みの的でもあることも理解できず、人から辛く当たられたりすることで月溪をより深く恨むようになり、更に自分と同じ年頃で王位に就いた慶国の王もまた嫉ましく、自分がそうされたように慶国を簒奪してしまおうとすら思いつめてしまう。

こういう祥瓊は王宮から追放されたから不幸なのでしょうか?王宮の暮らししか知らない人に庶民の暮らしは辛いものですが、なぜ自分が王宮で暮らせるのか、王宮で暮らすことはどういうことなのかを知らず、知ろうともしないで暮らし続けることは赦されることなのでしょうか?ノブレスオブリージュ=「貴人の責務」では、王侯貴族の恵まれた暮らしは王侯貴族の血筋故という無償で与えられたものではなく、その暮らしを支える民のためにいざと言うときには命を賭して闘うからこそ与えられたのだ、としています。王家の一員であれば無為無能で享楽に耽っても構わないと言うのではなく、いざと言うときに臣下に守られるべき存在でもない、と言う自覚を持たないものは王家の一員として恵まれた暮らしをする権利を有しない、ってことです。簡単に言えば祥瓊にはこのノブレスオブリージュが欠けており、王は民のために働くから王であり続ける、だから民の暮らしについて知らずにいることは赦されない、ってことすら知らずに暮らしていたんです。無責任な立場にいれば無知でもまだ「仕方ない」で済まされますが、責任を持たねばならない立場の人は無知であってはいけなくて、無知であることは決して赦されない罪であり、それによって罰を受けなければならないものなんですよね。

まぁ、こういうことがわからない祥瓊はあちこちでヒドイ目に遭います。それは庶民であれば普通のことでも王宮に暮らしていた祥瓊には耐え難いものだったようです。だから失敗をして叱責を受けるときも形ばかりは謝るものの、心の底では「何で自分がこういう目に遭わねばならないんだ」と言う思いがあり、叱責するほうもそれをうすうす感知して心底謝っていないことがわかるから祥瓊を赦そうとはしない。むしろキチンとした躾をしているつもりなんだけど、祥瓊のほうはイジメだとしか感じていないんですよね。この気持ちのすれ違いゆえに祥瓊は罪を犯しても罪だと認識せずに、他人になすりつけようとすらする。ある意味トコトン厭なキャラですよね。

あっしは何度か読み返してやっとこのあたりのことが見えてきたんだけど、最初に読んだときは祥瓊が謝っても「口先だけで何だ!」と更に怒りを買うのが解りにくかったんですよね。心の底から謝る気持ちがあるかどうかなんて解らないじゃないですか。メインキャラのほうに同調して読んでいたからかもしれませんが、祥瓊が○○と別れる場面で感謝の気持ちを込めて深々と頭を下げるまでの祥瓊の内面の変わりようは、やはり○○のキャラゆえなのかなぁ… などと思ったりもしたものです。

ところで、最近読んだ本で「心から謝っているのではない」と言う例があったので、ちょっと引用しますね。

「子供は叱られれば泣いて、それで赦してもらおうと思うんだ。それからほとぼりが冷めたと思うと、懲りもせずにまた同じことを繰り返す。泣くのは自分の悪を自覚したからじゃない。ばつが悪いそのときの状況から、いっとき逃避するためだ。だから悔い改めることもない。そういう人間は少なからずいるものだよ。大人の知性と弁舌を持ちながら、子供の無自覚さで悪を行い、懲らしめられれば泣いてその場から逃げ、ほとぼりが冷めた頃にまたもそれを繰り返す。」(篠田真由美「angels-天使たちの長い夜」より)

こういう人がやたら増えてきたんだなぁ、って思います。罪を犯して裁判を受けるときにすらマニュアルでどういう風に受け答えすれば刑が軽くなるとか教えられ、形ばかりの改悛の情さえ表せば本当に刑が軽くなるのを見せられると、なんか殺伐とした感じがしてしまいます。祥瓊は○○と出会って「無知の知」を得たんですが、振り返ってみて我々はどうなんでしょう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2003年05月16日 14時03分28秒
コメント(4) | コメントを書く


PR


© Rakuten Group, Inc.