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2003年05月21日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
つーのは昨日中島梓(栗本薫)のホムペの更新日記に書いてあった言葉なんですが、ケの日ってのは「穢」の日ってことで物忌みなどで静かに暮らさなきゃいけない日のことだったんですが、いつの間にかハレの日に対するケの日ってことで、普通の何でもない日常のことをケの日って言うようになったみたいですね。つまり、ケの日、ハレの日、なんでもない日の三種類あったのがケの日、ハレの日の二種類になったようです(この辺はあっしのオリジナル?)。つれてケの日は日常、ハレの日は非日常ってことで、単調でつまらない平凡な日々であるケの日に対するハレの日は日常から乖離したお祭り騒ぎが赦される日のことなんです。年に一度のハレの日があるから単調で平凡なケの日にも耐えて暮らすことが出来る、ってのはリオのカーニバルのために一年間働いてお金を貯めてメイッパイはじけて、カーニバルが終わるとまた次のカーニバルに向けてお金を貯めるために働くってようなものです。カーニバルで死者がでるとか言うけれど、日本のお祭りだってその日のためにずっと蓄えてきたエネルギーを一気に吐き出すから岸和田のダンジリみたいに死傷者が出てもおかしくないお祭りってケッコウありますよね?

一昔前なら年に一度のハレの日にはじけて、ケの日に耐えて暮らすのが当たり前だったけど、テレビの普及で物珍しいものがそうでなくなったように、常に刺激的なものが日常生活に流れ込み、それまでのハレの日が平凡になってしまった。あるいは平凡以下に成り下がってしまった。と言うのはテレビなどを通じて流れ込んでくる刺激のほうがそれまでのハレの日を凌駕しており、あれだけ熱狂したものがもの凄くみすぼらしい、ミジメったらしいものに見えてしまうんです。そうなるとハレの日によって耐えられてきたケの日に耐えることが出来なくなってくる。常により大きな刺激を求めるようになる。そしてそれが日常になっていくから、ケの日もなければハレの日もないってことになる。年がら年中かつてのハレの日以上のお祭り騒ぎが繰り広げられる。メリハリのない、だらだらと刺激を求める日々が続くってことは、耐えることを忘れた堪え性のない人間を作り出すことになる。

それでも戦中戦後の耐乏生活を経てきた人たちはまだメリハリがあったんですが、それでも自分が苦労しただけに子供には苦労させたくないと言う気持ちも強く、高度経済成長を経て信じられないほど物質的に豊かになると歯止めがなくなってしまう。とりわけ、バブルの時代にはまさしく濡れ手に粟ですから大して努力しなくてもお金が入ってくるし、円高の恩恵で舶来物が簡単に手に入り、高嶺の花がそうでなくなくなったのと、島国根性ゆえの強烈な横並び思考の結果、自分だけがみんなと違うことを極端に嫌い、みんなと違わないことを確認することに狂奔し、スケープゴートを見つけては差別し捲くる騒ぎがあったために、外聞を気にして見栄を張り続けるようになったんですよね。どんなに無理しても見栄を張るのが当たり前の時代に生まれ育った子供たちはお金で苦労すると言うことが理解できない。欲しいモノは何でも手に入ると信じて疑わず、手に入れられないことに我慢が出来ないから、援交とか親父狩りとかというとんでもないことも罪悪感もなしにやってのける。自分の欲望を充足するために手段を選ばないことがモラルに反していることすら誰からも教わっていないからできるのかもしれません。

こんな時代の処方箋っていったい何があるんだろう。と思っていたら昨日の夕刊(日本経済新聞5月20日付夕刊)にダニエル・カールの子育てに関する記事が載っていた。礼儀を守ることときちんとした言葉遣いをすることをしつけており、とりわけ、「馬鹿」と言う言葉を使うことは相手を侮辱することになるし、礼儀を欠くことになるので、言わないようにさせているそうだ。また、彼自身父親から「金は借りるな、現金のないときは物を買うな」と言われ続けたこともあり、11歳の息子にはお金は貰うものではなく、稼ぐものだということをしっかり身につけさせるために小遣いはやらず、家事の手伝いをするたびに時給800円を払う。800円はちょっと高いかなと思ったら、そのうちの半額は「カレッジファンド」という大学に行く資金として貯金させていると言う。

まぁ、たまたま昨日の「日記」のレスなどと関連する話がいろいろ目に付いたんで紹介したんだけど、英語の諺に「甘やかすとだめにする」ってのがあるのを思い出しました。あっし自身は甘やかされてしまったんでダメになった好例ですが(爆)これから育っていく子供たちのための反面教師になれればそれでも好いかなって感じでしょうかね(^^ゞ ダニエル・カールみたいなことが出来るかといえばなかなか難しいけど、耐えることを忘れてしまった時代に、右から左に安易に物が流れるもんじゃないってのを教えるのは大人たちの責務なんでしょうね。そのためにもまず自分たちが我慢をし、その我慢している姿を子供たちに見せ、我慢することを身につけさせないと子供たちがダメになってしまう… ダメになった子供が大人になってその子供たちをダメにしていくような悪循環は断ち切りたいものですね。





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最終更新日  2003年05月21日 13時29分44秒
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