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 NOB1960@ Re[1]:無理矢理持ち上げた結果が…(^^ゞ(10/11) Dr. Sさんへ どもども(^^ゞ パフォーマン…

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2006年01月24日
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「奏の再興(その1)」

眞緯五十年一月下旬。各国の鳳が『采王崩御』と啼いた。采麟失道の後、采麟登霞の報がないので、采王が禅譲したのかとも思われた。傲霜に詳報が届くのは早くても二日後である。楽俊が高王に即位して五十年、楽俊が半獣であること、高麟が景王に似た容貌であることなどが民に与える心情の払拭に手間がかかり、具体的な改革はようやく緒についたばかりで、少数の例を除いては『良くなった』との印象は薄い。悪くはなっていないので王や台輔への悪感情も薄れてはいたが。巧国にとって一番の課題は奏から流入する荒民の抑制と統御である。一時期百万人を超えた荒民も今は三十万人程度である。この数は雁と比べれば半分以下だが、国力の違いからするとかなりの負担である。奏との高岫付近は妖魔の出没が減り子供目当てに留まるものも少なくない。奏戸の制度で荒民を把握し、西部三州における巧の民と奏の荒民の比率も逆転し、二対一程度になった。肥沃で温暖な気候で収獲の多い地域なので、多くの巧の民を住まわせたいが、今はまだ雑居状態である。前王がこの地域に力の強い半獣を住まわせ、奏の荒民への牽制に使っていたが、今では殆んどが州師に組み込まれ、主に灌漑や土木工事、屯田の開拓に従事し、働き振りでは伍長や両長、卒長に取り立てられ、地仙になるものも出始めていた。言葉が通じず、流される時の蝕で大きな被害をもたらす海客はまだ理解が得られていない。海客の多くは慶に漂着し、巧には年に一人か二人で、その殆んどが配浪周辺であり、大概春華亭に収容された。春華亭の主である蘭華は仙籍から抜けていなかったのか言葉が通じ、海客に『こちら』の言葉を覚えさせ、『こちら』について学ばせた。そしてこの海客とともに育てられた子どもたちが翠篁宮に任官し始めていた。春華亭では主として巧の子供たちが育てられたが、三年ほど前、櫨家飯店の家公、大河の息子の英輝と娘の彩夏がここに預けられている。英輝は少姐の三つ違いの弟で配浪に来た時に十歳、彩夏は英輝の二つ年下で八歳だった。一方、阿岸の紫楽飯店で『住み込み』の少姐は十六歳になり、二十歳までじっくり勤め上げるようだが、紫楽飯店では出色であり、蒼月や紅蘭も『少姐に負けるな』と発破をかけるので自然と他のものの水準も上がっていた。傲霜の来楽飯店もそうだが、設立当初は別にして、基本的に促成栽培はしておらず、時間をかけて育てている。二十歳まで勤め上げれば少学を出たのと同じくらいの知識や教養を身につけられるので、大学に行かずに州などに任官したり、小学などで教鞭をとるものもいた。大学に進み、国衙に任官するものもいるが、それだけを目指してはいない。こうした草の根的な教育、人材育成は眼に見えた成果が出るにはまだ時間が必要で、眼に見える成果である三人は今巧にはいなかった。慶の情報網や人材育成の礎を築いたのは楽俊だが、その楽俊が陣頭指揮を取るわけには行かないので、楽俊に代わる人材として秀絡、秀絡から少麓という字をつけてもらった少姐と、恩賜の昭媛を名乗っている昭姐が選ばれ、秀絡は雁に、少麓と昭媛は慶に派遣されている。秀絡は主に関弓の大学で翻訳された蓬莱の書籍と格闘しており、少麓と昭媛は慶の通部と修部、それに松塾や渡浪亭などを実地で調査している。三人が派遣されてそろそろ五年で、呼び戻せば十分な成果を携えてくるだろう。それが巧独自の情報網や人材育成の礎となるはずだ。この春の除目で呼び戻すことを楽俊は英巽や沈志などと話し合っていた。これで情報に関するもどかしさも減るかもしれないが、今はまだ慶の遣士たちの情報網に縋るしかない。采麟失道の報を得て、金波宮は才を中心に連絡網を整えた。揖寧から巽城を経て金波宮という最短距離で第一報を届けるとともに、才の三方、奏、範、漣に連絡員を飛ばし、奏からは巧、範からは恭、柳、雁と順次補佐が伝達し、連絡員は奏から舜、範からは芳、金波宮から戴に向かわせ、漣に向かった連絡員は揖寧に戻り第二報に備えるというものだ。啓鷹が巧に知らせてきたものを、春陽が楽俊に知らせに来た。

「采台輔登霞の直後に采王は崩御なさったのか?」
「はい。北部と東部の叛乱が揖寧と連携し、王師が腹背に敵を抱えると、采台輔は重篤になられたそうです。采王は冢宰を通じ『台輔失道、重篤』の報を流させ、叛乱を沈静させるとともに政務を冢宰に一任して台輔の看病に専念したそうです。寝もやらずに十日ほど過ごし、台輔が身罷った後、正寝に戻られようとして斃れ、そのまま身罷られたそうです」
「そうか、だから采台輔登霞の報もないままに鳳が啼いたのだな。あの時は禅譲なさったのかと思ったのだが」
「采王が叛乱鎮圧に失敗して長閑宮に戻られた時には采台輔は既に意識もなく、時間の問題と見られていたようです。采王は禅譲しても助からないと判断し、采台輔の看病に専念したと思われます」
「なるほど… しかし、これほど才の民は奏を嫌っていたのか。王や麒麟がいなくなれば暮らしは厳しくなるというのに。それよりも奏の民が才に来るのが赦せなかったのか?」
「その辺りは奏の民が、というよりも、奏の民とのいざこざの際に才の民に厳しすぎる王では困ると思ったのではないでしょうか。昇山の民を襲うのは非道極まりないのですが、二度の事件の場合も才の民は極刑です。一方の奏の民はお咎めなしだと言うことが納得できないのでしょう。もちろん処断は適切ですが」
「適切な処断でも才の民には受け入れてもらえなかったということか。まぁ、郭真殿の事件の時は一罰百戒だったからな。被害に照らし合わせると罰が重いと思われても止むを得ないだろう。が、それもその後の昇山のことを考慮するなら加重ともいえぬ。昨年の場合は匪賊の悪辣さに翻弄された嫌いがあるな。それで一気に不信感が広がったのかも知れぬが…」
「…何か気になることでも?」
「なぜ匪賊が敢えてあのようなことをしたのか、とふと思ったのだ。確かに才の民は奏の民を嫌っているが、無分別ではないはずだ。なのにあれだけ悪辣な、狡猾なことをして、一体どのような利があったのだろう?単なる憂さ晴らしににしては手が込んでいる。どこぞに脚本を書いた奴がいるのではないかと…」
「…『彼』のような、ですか?」
「いや、槙羅の話では『彼』もまた何かに操られていたように見えたらしい。あるいは操ろうとするものを利用しようとしたのかもしれぬ。いずれにせよ、『彼』の後ろに何者かがいたのではないか、と見られているのだ。この何者かが…」
「…それは櫨家飯店の?」
「いや、私も一時期は疑ったが、どうも違うようだ。趙某についてはいまだにハッキリせぬが、今は奏の再興のために働いているようだ」
「その割には櫨家飯店に関るものは昇山していないようですが?」
「秀絡や昭媛もしていないが、どうも大河に『早すぎる』といわれたようだ」
「早すぎる、ですか?では時期がきたら?」
「秀絡はそういわれたらしい。昭媛は秀絡が行かないので行かないようだな。とすると将来の宗王と王妹か?」
「折角育てたのを奪われるわけですか?」
「まぁ、結びつきの強い王がいることは悪いとはいえぬ。巧も今は慶に頼っているし、奏のことはいえぬ」
「人のよろしいことで」
「そのうち奏を利用させてもらえばいいだけのことだ。櫨家飯店の一派の働き如何では奏の復興も早いかも知れぬ。そうなれば多少の恩恵も被れる」
「では秀絡は雁から呼び戻すことに?」
「悩ましいところだな。雁にやって五年、万が一そういうことならば呼び戻すのは躊躇うな。まぁ、慶にいる少麓と昭媛は予定通り呼び戻す気ではいるが」
「…延王君のことを学ばせようと?」
「いや、玄英宮そのものについてだな。今は主に大学で書籍で学ばせているが、それでは身につかぬものが多い。一見遊んでいるように見える延王も延台輔も人心掌握には長けているし、官吏の方も十分心得て働いている。堅牢な仕組みだ」
「確か楽俊さんは完成された雁から復興途上の慶に移られたと思いますが?その伝で行くなら巧に呼び戻すことも?」
「それは完成した仕組みを学んでからという意味に過ぎない。闇雲に変わり行く仕組みを見ても理解するのは難しい。最終的にどこを目指すべきなのかを押さえ、その上でどのように変えて行けば良いかを考えねばならぬだろう」
「では、昭媛を呼び戻すのは慶でそれが十分学べたと言うことですか?」
「慶も治世二百年になる国だ。雁には及ばぬかもしれぬが、巧よりも数段すぐれた制度が出来上がっている。とりあえずは十分だろう。まぁ、あの二人がどのように育っていくかは楽しみでもあるな」
「しかし、その前に才が」
「うむ。今のところは範頼みだな。奏に流れ込むものは少ないだろうし… 赤海を渡って巧に入ってくるとなると奏の荒民との関係か… あまり嬉しくないが、白海を渡って恭に逃れるよりも気候的に近い巧に来るか?」
「おそらくは。恭は才と比べると寒いですからね」
「となると西部三州の治安が問題になるな。巧に流入しそうな荒民の数の予測は可能か?」
「琉毅に状況を分析してもらいましょう。その辺りについては金波宮から指示が出てるかもしれませんが」
「金波宮で方針が固まるのは明日くらいかな?」
「そうですね。今頃金波宮にも第一報が届いていると思いますので、明日明後日くらいには指示が出ると思います」
「…昨年くらいから動いてはいるのだろう?」
「…ええ、夏の事件以来、かなりきな臭くなっていましたので。この間の叛乱についてもある程度は把握しているようですね。とは言え、直接の戦闘にはいたっていないようなので死傷者の数は軽微だったと聞いています。つまり、正丁は三百万人近いということです。才の荒れ具合にもよりますが、百万人の荒民が出る場合、その六割がたは範に逃れ、残りが巧と漣に逃れると思われます。虚海よりも赤海を渡るほうが安全ですので、荒民の二割五分から三割が巧を目指すかもしれません。となると三十万人前後かと」
「今の奏の荒民にすべて帰ってもらえればどうにかなるかもしれないが、当面は勘弁してもらいたいな」
「奏は西部を除くとかなり安定しているように思われますね」
「ああ、王がいないから天候が荒れることを懸念してるのだろう。王が即位すればすぐにでも帰ってもらえるかもしれぬ」
「才の荒民が来る前に帰ってくれ、ですか?」
「…できればそのようなことは言いたくないがな。まぁ、宗王がすぐにでも決まってくれれば心配せずに済むがな」
「宗台輔も蓬山から降りてこられますし… 櫨家飯店の誰かであれば…」
「こればかりはわからぬが、もしもそうなら秋までには決まるかも知れぬな」
「…せめてそうあってほしいですね」
「ああ、せめて、な」

何処か疲れたような声で楽俊は応えた。これから才は短くとも十年近く王が不在で厳しい時をすごさねばならない。せめて隣国の奏が王を得て復興すれば、今奏に注がれている支援の手が才に向けられるだろう。少なくとも荒民の受け入れは奏の荒民が故国に帰るかどうかで大きく違ってくる。才の民がどう思おうが、奏の王が決まらねば才の民は楽にならないのだ。皮肉なことに采王が斃れたことで宗王が践祚するかも知れず、宗王が践祚することで才への支援が充実するかもしれない。楽俊はこの皮肉な状況を実現するために何らかの力が働いたのではないか、とふと感じた。しかし、楽俊はこの考えを切り捨てた。というのは、このようなことをするだけの力を持ったものが見当たらないからである。かつての『彼』のように自由気ままに動き回れる、力を持った存在がいれば慶の遣士たちの情報網が見逃すはずがないのだ。そういうものがいれば、噂にしろ何にしろ、何処かで耳に入ってこないはずがないのだ。けれども、趙某は入ってこなかった… それだけが引っかかる。目立たず、ずっと後になって姿が消えた頃にその成果が現れるなど、普通ならありえないのだが… より大きな存在の意図でもあるまいし… と、楽俊が瞠目した。それを春陽が訝しげに見詰める。

「…どうかいたしましたか?」
「…いや、なんでもない」

その応えは何処か上の空だった。





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最終更新日  2006年01月24日 12時36分56秒
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