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2023年06月22日
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カテゴリ:テレビ番組


#どうする家康 #水野信元 #武田勝頼 小田原城跡、散策しながら、解説。
「どうする家康」第23回「瀬名、覚醒」あらすじ
瀬名(有村架純)が武田勝頼(眞栄田郷敦(まえだごうどん))の使者・千代(古川琴音(ふるかわ ことね))と密会していると知った五徳(久保史緒里)は織田信長(岡田准一)に密告。すると信長は、水野信元(寺島進(てらじま すすむ))が武田と内通していると言いがかりをつけ、徳川家康(松本潤)に処分を迫る。苦渋の末、水野を手にかけた家康は、侍女・於愛(広瀬アリス)に癒しを求めるようになる。一方、設楽原の戦い以来、心のバランスを失っていた松平信康(細田佳央太(ほそだ かなた))に、瀬名は秘めてきた大きな夢を打ち明ける。


[年表]
天正3年  6月25日   奥平定能・信昌父子に、信長重臣・佐久間信盛が援軍。武節城、陥落させた。三河、再統一。
   6月26日   信長、京に出発。佐和山で休息。
   6月27日   信長、京に到着。宿所、相国寺(しょうこくじ)。
   6月から7月  家康、遠江犬居谷に侵攻。犬居谷、制圧。 
   7月1日   畿内近国の大名、武将、出仕して、信長に挨拶。
   7月3日   宮中で東宮・誠仁親王(さねひとしんのう)が清涼殿で蹴鞠の会。信長も参内し、見物。御所で正親町天皇からの盃、内侍所(ないしどころ)の女官通じて、頂戴した。官位昇進の勅諚あるも、遠慮して辞退。松井友閑が宮内卿法印、武井夕庵が二位法印、明智光秀が惟任日向守、梁田広正が別喜右近、丹羽長秀が惟住、許された。
   7月6日   上京、下京の町衆が妙顕寺(みょうけんじ)で能の会。信長、招待された。
   7月12日   勢多の橋の立柱式。吉日のため。山岡景隆、木村高重が担当。
   7月15日   信長、帰国のため、京、出発。常楽寺に到着。
   7月16日   信長、垂井に宿泊。
   7月中旬   今川氏真、家康軍の諏訪原城(すわはらじょう)攻撃に従った。
   7月17日   信長、岐阜に帰還。
   7月19日   今川氏真、「宗誾(そうぎん)」と署名した文書を発給。この時までに剃髪していた。
   8月  家康、諏訪原城攻め。鳥居元忠、負傷。諏訪原城を接収。 
   8月  家康軍、遠江小山城(こやまじょう)(城将・岡部元信)攻め。 
   8月   勝頼、1万3000人で、遠江小山城の後詰めに出陣。
   8月  家康軍、遠江小山城攻めから諏訪原城に撤退。諏訪原城、牧野城に改称。名目上の城主に今川氏真を据えた。
   8月   勝頼、小山城の救援と高天神城の兵糧補給に成功。高天神城の城主・小笠原信興、駿河国富士郡重須(おもす)に転封(てんぽう)、高天神城、武田軍の直轄とした。
   10月   将軍足利義昭の斡旋で、上杉謙信が武田勝頼と和睦。甲越和睦。以後、織田信長と上杉謙信の関係悪化。
   11月4日   信長、清涼殿に参上。従三位・権大納言(ごんだいなごん)に任じられた。
   11月7日   信長、御礼のため、宮中に参内。正親町天皇から盃、頂戴した。右近衛大将(うこんえのだいしょう)、兼任。信忠、秋田城介(あきたじょうのすけ)に任じられた。
   11月21日   岩村城、開城。城代・秋山虎繁は捕縛されると岐阜へ連行された。
   11月24日   信長、岩村城に河尻秀隆を入れ、岐阜に凱旋。
   11月26日   秋山虎繁は妻の、おつやの方、家老の大嶋長利・座光寺貞房とともに長良河原で逆さ磔で処刑。享年49。城兵、助命の約束、破り、岩村城内に押し込め、焼き殺した。勝頼、撤退。水野信元、武田方に内通の疑い。三方ヶ原の戦いの戦線離脱、岡崎帰還と同様。当代記。
   11月28日   信長、家督を信忠に譲った。
   12月24日   二俣城の依田信蕃(よだ のぶしげ)、武田勝頼の許可のもと、降伏、開城し、高天神城に籠城。
   12月27日   水野信元、信長の重臣・佐久間信盛の讒言により、「武田勝頼の武将・秋山信友との内通や兵糧を輸送した疑い」で、信長の命を受けた甥・徳川家康によって三河大樹寺(岡崎市鴨田町字広元)で殺害された。同時に養子・水野信政も養父とともに斬られた。刺客(しかく)、平岩親吉。自刃とも。家康、遠江、三河で武田氏に対し、優位に立った。
天正4年  1月中旬   信長、丹羽長秀に、安土山に築城開始、命じた。
   1月   勝頼、春日虎綱に書状。三河侵攻の延期、通達。
   2月7日  家康が寝込みを襲われる事件が発生。家康が寝込みを襲われる事件が発生。武田の配下の近藤武介が井伊万千代(のちの直政)に討たれた(『井伊年譜』)。 
   2月13日   信長、安土城に移った。
   2月   将軍足利義昭は紀伊由良の興国寺を出て、西国の毛利輝元を頼り、その勢力下であった備後国の鞆に動座。
   3月  家康の嫡男・信康と信長の娘・五徳との間に、長女・登久姫(とくひめ/のちの峯高院(ほうこういん))が誕生した。 
   3月17日  家康は牧野城主に今川氏真を置き、松平家忠、松平康親に補佐させた。 
   4月1日   安土山の大石(たいせき)で石垣、築き始めた。信長、天主、唐様に仕上げるように命じた。
   4月16日   勝頼、恵林寺で、信玄の葬儀。
   4月晦日   信長、上洛。宿所、妙覚寺。
   5月18日   将軍足利義昭の斡旋で、上杉謙信と大坂本願寺、一向一揆との和睦、受諾。
   6月   謙信、大坂本願寺、一向一揆、毛利輝元の提携が成立。
   6月   謙信、信長と断交。越三同盟も、崩壊。武田、北条、上杉、大坂本願寺、一向一揆、毛利の連携による、新たな信長包囲網、形成。
   7月  長篠城(愛知県新城市)の奥平信昌(おくだいらのぶまさ)が新城城(愛知県新城市)を築城(「新城聞書」)。これを機に、家康はかねての約束通り、娘・亀姫(かめひめ)を奥平信昌に嫁がせた(『寛政重修諸家譜』)。





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最終更新日  2023年06月22日 00時53分48秒
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