875276 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ある役者のつぶやき(送料無料市場)

ある役者のつぶやき(送料無料市場)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

ライス小

ライス小

サイド自由欄

【送料無料】 DVD/ゆず/LIVE FILMS 2 -NI-/SNBQ-189...

【送料無料】 DVD/ゆず/LIVE FILMS 2 -NI-/SNBQ-189...
価格:5,000円(税込、送料込)






フリーページ

カテゴリ

バックナンバー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023年08月05日
XML
カテゴリ:テレビ番組





#どうする家康 #神君伊賀越え #本能寺の変 6月2日夜、山崎片家が自邸焼いて、騒動拡大したのね!!本能寺の変の夜、信長公記にも登場する、滋賀県彦根市の山崎山城跡の遠望。実に貴重な映像なり。




「どうする家康」第29回「伊賀を越えろ!」あらすじ

「織田信長(岡田准一)、死す」。衝撃的な知らせが世をかけめぐるなか、明智光秀(酒向芳(さこう よし))の命令で、徳川家康(松本潤)は、浪人から村人まであらゆる者から命をつけ狙われることに。岡崎へ帰還すべく、家臣団とともに逃亡する家康に、服部半蔵(山田孝之)は、服部党の故郷である伊賀を抜けるべきだと進言する。追手を欺くため、家臣の酒井忠次(大森南朋)らと二手に分かれた家康は、伊賀越えのルートで一路岡崎を目指すが、道中で伊賀の忍者に襲われてしまう。




[年表]

天正10年

6月2日 未明。本能寺の変。明智光秀の謀反。是非もなし。織田信長、無念にも切腹。享年49。織田信忠、二条新御所で切腹。享年26。

6月2日  早朝、徳川家康、穴山梅雪、長谷川秀一の一行、信長に合流すべく、京に向けて、出発。先立ち、本多忠勝、京に派遣。昼ごろ、枚方で、京から堺目指す、茶屋四郎次郎に遭遇。本多忠勝と茶屋四郎次郎が堺に引き返した。途中、飯盛山で、家康一行と出会った。穴山梅雪一行と別れ。家康、尊延寺越え。草内(くさじ)の渡で、木津川、渡河。宇治田原(うじたわら)に入った。遅れてやって来た、草内(くさじ)の渡で、穴山梅雪主従、落命。梅雪、享年42。(家康、山口城で、一泊)。 

6月2日   夜 山崎片家(やまざき かたいえ)が安土城下の自宅、焼き払い、安土から居城の山崎山城に退去。騒動、拡大。信長公記。

6月3日  西国に出陣するので準備せよとの酒井忠次の使者が堺から岡崎に到着。酉刻(午後6時頃) 、松平家忠は、京都で「上様」( 織田信長 ) が「明知 ( 智 ) 日向守」( 光秀 ) と「小 ( 織 )田七兵衛」( 津田信澄、信長の弟・信勝の子、明智光秀の娘婿) の「別心」によって「ご生かい」( 生害 ) したとの第一報を受けた。家忠日記。 

6月4日  松平家忠は、「四日庚寅(かのえとら、こうきんのとら、こういん)」の左下に「明知 ( 智 ) 別心也」と、改めて光秀の謀反と記した。家康以下家臣たちが「境」( 堺 ) から、「伊勢地 ( 路 )」を通り、海路で三河国大浜に到着。信長信忠父子の死については「秘定(ひじょう)」と、岡崎や緒川城主・水野忠重から家忠に連絡があった。家忠は岡崎に帰還した家康の出迎えに赴いた。家康と同行していた穴山梅雪が切腹したとのこと。雑兵200人余を討ったという記述あり。織田七兵衛こと津田信澄の「別心」は誤報とのこと。家忠日記。 

6月4日   備中高松城主・清水宗治、切腹。

6月5日   織田七兵衛こと津田信澄が、織田信孝と丹羽長秀に襲撃された。大坂城千貫櫓で防戦も、丹羽家家臣・上田重安(うえだ しげやす)に討ち取られた。謀反人の汚名を着せられたまま、信孝の命令で堺の町外れに梟首(きょうしゅ)。享年25か28。

6月8日   安藤守就(あんどう もりなり)、稲葉一鉄に敗れ、討ち死に。

6月13日   山崎の戦い。明智光秀、落命。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023年08月13日 19時36分52秒
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.