875306 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ある役者のつぶやき(送料無料市場)

ある役者のつぶやき(送料無料市場)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

ライス小

ライス小

サイド自由欄

【送料無料】 DVD/ゆず/LIVE FILMS 2 -NI-/SNBQ-189...

【送料無料】 DVD/ゆず/LIVE FILMS 2 -NI-/SNBQ-189...
価格:5,000円(税込、送料込)






フリーページ

カテゴリ

バックナンバー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023年08月31日
XML
カテゴリ:テレビ番組





第33回「裏切り者」あらすじ

「小牧・長久手の戦い」で大勝するも、織田信雄(浜野謙太)を抱き込んだ秀吉(ムロツヨシ)が和議を迫り、さらに人質を求められた徳川家康(松本潤)。その上、秀吉が関白に叙せられたという知らせが浜松に届き、名代として重臣の石川数正(松重豊)を大坂城へ送った。そこで数正は、改めて秀吉の恐ろしさを痛感。さらには、徳川を苦しめる真田昌幸(佐藤浩市)の裏にも秀吉の影を感じた数正は、決死の進言をするが、家康の秀吉に対する憎しみは深く・・・。




[年表]

天正12年

   4月10日   秀吉、楽田に退いた。 

   4月17日   徳川家に居た遠山利景が旧領の明知城を奪還。

   5月4日   家忠日記、羽柴側の大軍が加賀野井城を包囲。

   5月5日   織田信雄は、羽柴秀吉が加賀野井城を包囲しようとしていると不破広綱(源六)に伝えた。秀吉軍、竹ヶ鼻および祖父江(そぶえ)近辺に放火。

   5月7日   不破文書、織田信雄は、不破広綱(源六)による加賀野井への後詰要請を徳川家康にも伝えた事も書き送った。池田文書、加賀野井城の外構を破って堀を残すのみになったと、木下重堅(きのした しげかた)に報じた。加賀野井城、落城。

   5月11日   竹ヶ鼻城の水攻め。堤の工事、着工。

   6月10日   織田信雄、徳川家康、援軍要請にこたえられないまま、竹ヶ鼻城、開城。

   6月11日   長宗我部元親が十河存保(そごう まさやす )の十河城を攻略。讃岐平定(第二次十河城の戦い)。

   6月13日   秀吉は岐阜城に立ち寄った。

   6月16日   午前、滝川一益が九鬼嘉隆の安宅船 (あたけぶね)と共に、兵3000で、蟹江浦に出陣。前田長定(種定)は、滝川一益の調略で寝返り、佐久間信辰(さくま のぶとき)を本丸から退去させた。前田長定(種定)の弟・前田長俊(利定)が守る下市場城、及び、長男・前田長種の守る前田城も、秀吉陣営となった。大野城の山口重政は母親を人質に取られているにもかかわらず、調略に応じなかった。

   6月16日   夕刻、滝川一益、九鬼嘉隆、前田勢は大野城を攻め、陥落寸前まで追い込んだ。

   6月16日   夜のうちに、長島城の織田信雄は兵2千を率いて、大野城に急行。

   6月17日  早朝、清須城の徳川家康も手勢を率いて、戸田村に本陣構えた。織田信雄は大野城に入城。大野城攻めに失敗した滝川勢は蟹江城に、九鬼勢は下市場城に、それぞれ逃れ、篭城。

   6月18日  徳川家康と織田信雄は2万の兵で、蟹江城、前田城、下市場城の3城を包囲。 

   6月18日  織田・徳川勢は下市場城を集中攻撃。下市場城、落城。前田長俊(利定)を討ち取った。 

   6月19日  舟入(ふないり)の戦い。九鬼嘉隆が敗北。織田・徳川陣営による海上封鎖が完成。

   6月20日  家康が東から、南と西から信雄が蟹江城を攻撃。

   6月21日   秀吉が美濃から近江・佐和山城に移った。

   6月22日  織田信雄と徳川家康が蟹江城に総攻撃。 

   6月23日  石川数正と阿部信勝が攻めていた、前田長種の前田城が開城。徳川家康が榊原康政を伴い、入城。

   6月24日   秀吉が、近江・土山に移った。

   6月25日   秀吉が伊勢・椋本(むくもと)に移る。信濃の木曾義昌に尾州西側からの総攻撃予定を伝えた。

   6月28日   秀吉は大坂城に戻った。

   6月29日   蟹江城の和平交渉が開始。

   7月3日  蟹江城が徳川・織田勢に引き渡された。

和睦し、退去中の前田長定が殺害された。滝川一益は伊勢神戸城に逃れたが、守備していた味方の富田一白に怪しまれ、入城できずに追い返された。 

   7月5日  家康、桑名城に入城。 

   7月12日   秀吉、約束通り、滝川一益に3千石、子・滝川一時(たきがわ かずとき)に1万2千石を与えた。

   7月13日  家康、清須城に帰還。 

   7月29日   秀吉、美濃・大垣城から大坂城に帰還。

   9月  妻籠城(つまごじょう)の戦い。徳川家康方の菅沼定利、保科正直、諏訪頼忠が、木曽谷の妻籠城に攻め寄せた。木曾義昌の重臣・山村良勝がこれを撃退した。

   9月11日   末森の戦い。佐々成政、秀吉方の前田利家に大敗。

   10月3日   秀吉、従五位下・左近衛権少将

   11月12日   秀吉は、伊賀と伊勢半国の割譲を条件に、織田信雄に講和を申し入れ、信雄が受諾し、戦線離脱。

   11月17日  戦争の大義名分を失った家康は、三河に帰国した。 

   11月21日   秀吉、従三位・権大納言(ごんだいなごん)。

   11月23日   佐々成政が、さらさら越え。自領・富山を発し、雪深い立山を越え、浜松の家康を訪れ、秀吉への抵抗を促したが、聞き入れられず。

   12月12日   於義伊(おぎい)(のちの結城秀康)、羽柴秀吉の養子として「羽柴三河守秀康」と名乗る。   

天正13年    

   3月10日   秀吉、正二位、内大臣宣下。

   7月11日   秀吉は近衛前久の猶子として、従一位・関白宣下、内大臣如元。

   7月25日   長宗我部元親、降伏。元親は土佐一国のみを安堵され、許された(四国攻め・四国平定)。

   8月25日   富山の役。佐々成政が秀吉に降伏。

   閏8月2日  第一次上田合戦。 

   閏8月3日  丸子表の戦い。    

   閏8月28日  徳川軍は上田より撤退。

 9月9日 正親町天皇、秀吉の改姓を許可する宣旨。押小路家文書。
   11月13日  石川数正、一族と信濃小笠原貞慶の人質連れて、尾張に出奔。羽柴秀吉に帰属。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023年09月03日 01時39分26秒
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.