カテゴリ:人生を考える
高校まではのんびりと暮した。それなりに成績はよかった。大学では金がないので遊べなかった。やむを得ず図書館や古本屋で本を読み、生活が苦しくバイトした。卒業までバイトした。同級生が車を買った(買ってもらった)という話を聞くと羨ましかった。しかし、車は勤めたら買えばよいと自分を納得させ、しかし、別の同級生がCXの深夜番組にアシスタントとして出演しているのを観て、世の中になにやら~なんらかの不平等があるのに気づき始めた。何かこの世には謎の鍵があると薄々感じ始めていた。自分の知らない通路があるのだと。そのころはこの通路をコネと決めつけていた。 バイト先は牛丼屋で飯には困らなくてすんだ。店の2階は正社員の寮で、そこで風呂もはいれたので銭湯代もういた。のぶちんのアパートには風呂がなかった。しかし、いつかは金持ちになってやると口には出さなかったが心の中でなんとなくそんな感じを持ちながら、バイトが終わると臥竜屈で暮らしていた。バイト代で中古の14インチのテレビを買ったが、同級生は21インチだった。しかし、努力すれば叶うと信じる他の知恵も教養もコネもなかった。努力とは汗で表現できると思っていた。汗を出さない知恵(合理的な演算回路)を持ち合わせて生まれなかった。会社に入って給料をもらった。初任給では果たせなかったけれども、2回目の給料で母にわずかな贈り物をした。母からは礼はなかったけれどもそれは自分のためにしたのだからそれでよかった。 世に生まれれば事を知るようになる。事とはなにぞ?と問われてもいまだに正しく正解を出せない。事を知るとは嬉しいことでもある。これは同時に危険が伴うことを知る。狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚あわせの護身服を身に付けるのも、時間の問題でみな知る。年をとるということは罪をとると同義であり、よって、老人にろくなものはいない(いや、ちょびーっとはましな者がいるかもしれないが、いまだかって面会したことがない)。愚なことばかりを考えてしまう。愚なことを考えているから愚な結果が残る。それに懲りて反省はするが、また繰り返す。しかし、この世では愚はまかりとおっている。愚が正義だ(と、いわんばかりだ)。 愚を知るとはどういうことか。その身に置いたことはないけれど、以前は銀座にも浮浪者と呼ばれている人が地下鉄の通路で寝そべっていた。米国からの来客があり、道路が混んでいることから地下鉄で接遇先に連行することにした。その米国人が浮浪者を見てビックリ仰天した。日本の浮浪者が新聞(どっかで拾ったものだと思う)を読んでいたからだ。米国のバム(浮浪者)は文字が読めないので職がなくそのようになるらしい。途中をはしょってしまうが、自分は、文字が読めない日本の浮浪者を見たことがなかったこともあり、それから彼らに興味を持つようになった。いつの間にかに地下鉄の警備が厳しくなったのか浮浪者を見ることは銀座ではなくなった。かれらは世捨て人だと思ったまま、遺恨ではあるが、それを立証できていない。 愛嬌がないが、今夜はこの辺で。おわり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月17日 21時30分58秒
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