2013年1月に母が亡くなってから、矢のように7年の歳月が過ぎた。母のアパートを引き払うために伊豆

　　　　　　　　　　　へ行った時、部屋に年賀状の書き損じがあった。母の妹宛の年賀状の住所の漢字が思い出せなかった

　　　　　　　　　　　らしく、何度か書いてみたものの、思い出せないまま送ったようだった。というのは、母の死後叔母が住

　　　　　　　　　　　所の文字がおかしかったと言ったのでわかったのだ。

　　　　　　　　　　　「まったく、頭がバカになっちゃってさ」いつもと同じようにそう母が言うものだから、私はさして心配もしな

　　　　　　　　　　　かった。「そんなことは歳をとったら誰でも同じだから、大丈夫だよ」なんて、私もいつもの返事をした。そ

　　　　　　　　　　　んなことを今思っても遅いけど、何の慰めにもならなかったのだな。

　　　　　　　　　　　姉妹の住所なら住所録くらいはあるだろうし、古い年賀状だってあるだろうから、確かめようはあったはず

　　　　　　　　　　　なのに、それ自体を思いつかなかったのだとしたら、それは心配な状態だろう。また、それらを見て書いた

　　　　　　　　　　　のにも関わらず、書けなかったのなら更に深刻だと今なら思うのだが、そういう具体的なことは言わない

　　　　　　　　　　　ので、いつもの事と思ったのだった。

　　　　　　　　　　　今日私は買い物のメモに「さとう」と書こうとして、「すな」という漢字が思い出せなくて、その忘れ方の酷さ

　　　　　　　　　　　にギョッとした。平仮名でもよかったんだが、思い出せないのは気持ちが悪い。メモ自体は普段からの買い

　　　　　　　　　　　忘れ予防策なので、最近始めたことではない。

　　　　　　　　　　　「こんな感じだった」という文字の部分だけが、ちらっちらっと浮かぶので書いてみるんだけど、何度書い

　　　　　　　　　　　てもどうも違う。違うという事だけははっきりわかるのに、どうして文字そのものを思い出せないの？

　　　　　　　　　　　忘れたのが「砂」ですよ。（書けないけど）「薔薇」じゃないんだから。「糖」は書けたのに、「砂」ですよ。

　　　　　　　　　　　わ、気持ち悪い、なんだろうコレ。「思い出せる気がしない忘れ方をしてる自覚」がある。いつもなら、あき

　　　　　　　　　　　らめずに書いているうちに思い出せるのに、いくら書いても思い出せる気がしないので、PCで入力変換し

　　　　　　　　　　　た。あ、ヤバイ。これはたぶん、母が感じた不安と同じものかも知れないと思った。

　　　　　　　　　　　私自身は最近、なんだか短期記憶が怪しいなぁと思うことがとても増えた。そこへ持ってきてこの文字の

　　　　　　　　　　　忘れ方。幸いなのは、私が精神科を受診していることだ。以前の物忘れと、具体的にどう違うかが説明

　　　　　　　　　　　できるうちは大丈夫ですよとか、医者にも言われそうな段階なんだろうとは思う。

　　　　　　　　　　　最近、知人からお母さんの要介護認定が、要介護2からいきなり4になってしまった話を聞いたばかりだ

　　　　　　　　　　　った。常にではないのだが、時々娘さんの認識ができなくなるそうだ。朝起きると荷物をまとめて「では、

　　　　　　　　　　　田舎へ帰ります」と玄関へ行くので、「ご飯を召し上がっていきませんか？」と言うと、そのまままた部屋

　　　　　　　　　　　へ戻るとか。自転車で遠くまで出かけてしまい、警察のお世話になったそうで、強い不安行動が表れて

　　　　　　　　　　　介護認定が一気に要介護４になったのかもしれないと知人。

　　　　　　　　　　　そうか…物事の認知が曖昧になり、不安になると人はやっぱり生まれ育った場所へ帰りたくなるのか。

　　　　　　　　　　　生まれてからずっと同じ場所で住んでいても、景色や顔ぶれは変わってしまうので、同じように不安に

　　　　　　　　　　　駆られてどこかへ帰りたくなるのだろうか。私の物忘れは、帰りたくても帰りようのない現実をいつか忘

　　　　　　　　　　　れるために、ステップ・アップしているみたいだ。