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バッカやろう!汗が目に入っただけだっつ~んだよう。 あ~台風が来ちゃいましたなあ。 大雨の後っていうのは、しばらくの間は果物が水っぽくて甘みが薄くなって美味しくないんですよね。今は梨が美味しいですけど、しばらくは水っぽくて美味しくないかもねえ。 それにしても、1日で半年分の雨が降ったって、聞くだけでも凄まじいですなあ。昼間に、隙あらばテレビで台風状況を確認していましたけど、道路標識の高さまで水位が上がって濁流が流れる風景は、規模は違いましたが5年くらい前に名古屋で集中豪雨があったときに、一瞬で会社の周りがひざの高さまで水位が上がってあっという間に移動出来なくなったのを思い出しましたよ。 どこから流れてきたのか、木の板や枝が流れてきて危なかったですよ。 それが自分の頭よりも高いところまで濁流が流れるだなんて、考えられないですよね。 あと、テレビを観ているとクルマが水没している風景が映るじゃないですか。 あれを観て思い出すのが、クルマが動かなくなる瞬間。 水位がフロントランプくらいまで上がると、しばらくしてランプがチカチカチカって点滅し出すんですよ。 それがクルマの断末魔。 スポーツカーなんて、ランプが持ち上がって点くやつかるじゃないですか。 買えるの目玉みたいなヤツ。 あれが、左右バラバラに開いたり閉じたりしながらチカチカとして消える。 あれは、クルマが生きているみたいに見えました。 生きているみたいといえば、ワタシは昔から物へ愛着を感じると手放すときに切なさを感じちゃいます。 それは身につける時計や服だけでなく、家電製品にも感じます。 と言っても、これはだれでも切なさを感じるのかなとも思います。 ただ、ワタシの場合は今でこそ寂しさを感じる程度に抑えられていますが、子供の頃は半端じゃなかった。 例えば、今でも覚えているのがテレビを買い替えた時です。 当時のテレビって、テレビとテレビ台には分かれていなくて、家具のようにテレビに足がついていたんですよね。ボディーもプラスチックではなくて木製でした。チャンネルは当然、ガチャガチャって回すやつ。 そのテレビが映らなくなったので、新しいテレビを買ったわけですけど、電気屋さんが軽トラックで荷台に載せてやってきました。 当時の電気屋さんって、テレビを運んできたら古いテレビは引き取って帰ってくれたんですよね。 で、新しいテレビを運び込んだ電気屋さんは映らなくなったテレビを荷台に載せました。 その時父が、「もうテレビ行っちゃうよ。ありがとう、バイバイって言いなさい。」みたいなことを言ったと思うんですよ。 電気屋さんは、荷台に積み終わると「ありがとうございました。」と言って軽トラのエンジンをかけ走り出します。 その時ワタシはと言うと、「バイバイ」とは言ったと思うんですけど、去っていく姿を最後までみてられなかったですね。 泣いていました。 もう、号泣。 だって、想像してみて下さいよ。今まで一緒に生活してきたテレビが、軽トラの荷台に載せられてだんだん遠ざかっていくんですよ。 その姿はもう、ドナドナですよ。 子牛と何が違うというんですか。 もう、切ない切ない。 そんなワタシですから、一人暮らしをしていた学生時代、地元へ帰る時に色々な思い出の詰まった部屋から去るのはすごく寂しいじゃないですか。でも、部屋は空けなければならない。じゃあ、部屋のものを全て持ち帰ろうと思っても、持ち帰れるわけないですよ。 そこで、とりあえず部屋にある全てのものに楽しいことも苦いことも含めて、思い出が醤油のシミのようにこってりと吸い込んでるから何かひとつ部屋のアイテムを持ち帰ろうと思い立ち、なぜか カーテンをまとめる、なんていうの?あの三日月型のやつ、あれを持ち帰ってきました。 う~~~ん、どんなに「過去を振り返らず前を向いてポジティブに生きるのが良し。」と言われても、やっぱり思い出があるからこそ、生きていけるんじゃないかなあ。 なにかひとつでも懐かしさで涙が出そうになるような記憶があるって、30代になったからこそ平気で言えるのかもしれないけど、大切なんじゃないかなあ。 って今更ながらに今思っちゃいました。 こういうデザインって、懐かしいですなあ。 あと、鳩時計ってありませんでした?夜鳩が鳴くとうるさいので、寝る前に振り子を止めていた記憶が・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.06 23:31:36
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